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古事記伝
三十二
本都延波(ほつえは)は〈都お濁るは非なり〉上枝者(ほつえは)なり、本(ほ)は秀(ほ)の意ぞ、万葉九〈二十丁〉に、最末枝者落過去祁利(ほつえはちりすぎゆけり)、十〈六十一丁〉に、末枝梅乎(ほつえのうめお)、十三〈二十四丁〉に橘末枝乎過而(たちばなのほつえおすぎて)、十九〈四十八丁〉に青柳乃保都枝与治等理(あおやぎのほつえよぢとり)などあり、上巻石屋戸段に、上枝中枝下枝と見え、下巻朝倉朝段歌に、本都延那加都延志豆延(ほつえなかつえしづえ)とよめり、〈◯中略〉志豆延波(しづえは)は〈◯註略〉下枝者(しづえは)なり、書紀には辞豆曳羅波(しづえらは)とあり、万葉五〈十八丁〉に、和我夜度能(わがやどの)、烏梅能之豆延爾(うめのしづえに)、七〈三十五丁〉に向岡之(むかつおの)、若楓木(わかヽつらのき)、下枝取(しづえとり)、九〈二十丁〉に、下枝爾遺有花者(しづえにのこれるはなは)、十〈六十一丁〉に梅之下枝(うめのしづえ)、