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倭訓栞
前編二十四波
はな 花おいふ、春化(なる)の訓義にや、神代紀に春お花の時と見ゆ、唐音にもはあといへり、単葉はひとへ也、千葉は音にてせんよといひ、又八重あり、楼子はやぐらざき也、筒子はつつざき也、花の雲、花の雪、花の波、花の滝、花の袖、花の衣など歌によめり、正花也、花五色といひて、独黒色なしと、蠡海集に見えたれど、蚕豆の花は黒白分明に見ゆあり、群芳譜に、黒梅、花黒如墨、或雲、以苦棟樹接者とあり、古今集に、 年ふれば齢は老ぬしかはあれど花おし見れば物おもひもなし、是は詩に、窈姚淑女君子好逑とあるが如き、染殿后の風情お、かたはらに照してのたまふなり、花とのみいひて桜の事とするは、後の事也、鶴林玉露に、洛陽人謂牡丹為花、成都人謂海棠為花、尊貴之也と見ゆ、鎌倉右大臣集に、 みよしのヽ山に入けん山人となり見てしがな花にあくやと、古今集、菅家万葉なども、桜とよめるは勿論にて、花とのみよめるは百花おいへり、よて詩も其意に見えたり、農家に花といふは紅花也、