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傍廂
前篇
花 いにしへは木にても草にても、今目のまへに花の咲いたるお見ながらよめるは、たヾ花とのみよみし歌、万葉集にあまたあり、古今集の頃は、さくらおむねと花といへれど、中には花の鏡となる水は雲々、流るヽ川お花と見て雲々、花ぞむかしの香に匂ひける、これらは梅お花とのみよめり、又花見つヽ人まつ時は雲々、是は菊なり、たなびく山の花のかげかも、これは桃、さくら、藤、山吹、つヽじなど、おしなべて花とのみよみしなり、後世にいたりては、花といへば、題も歌もさくらに限れり、いかにも打ちまかせて桜お花とのみいはんに、憚るべきにはあらず、花てふ花の中にすぐれてめでたくたぐひなき花はさくらなり、かばかりすぐれたる花なき外戎は、国がらいやしき故なり、鶴林玉露に、洛陽人謂牡丹為花、西都人謂海棠為花尊貴之也といへるは、事のかけたる国故なり、牡丹、海棠などこちたくいやしげにて、くらぶべきにあらず、たとへていはヾ、容貌美麗の女官の打ちとけたる姿と、厚化粧の俳優人の粧ひたる姿とのごとし、