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駿台雑話

老僧が接木 されば是につけて思ひ出し事あり、忍が岡のあなた谷中のさとに、何がしの院とてひとつの真言寺あり、翁〈◯室鳩巣〉いとけなかりしころ、其住僧おしりて、しば〳〵寺に行つヽ、木の実ひろひなどして遊びしが、住僧かたへの人にむかひて、前住の時の事おなん語りしおきヽ侍りしに、寛永のころの事になん、将軍家〈◯徳川家光〉谷中わたり御鷹狩のありし時、御かちにてこヽやかしこ御過がてに御覧まし〳〵けるが、此寺へもおもほへず渡御ありしに折ふし其時の住僧はや八旬に及て、庭に出てみつわくみつヽ、手づから接木して居けるが、御供の人々おくれ奉りて、御側に二人三人つき奉りしお、中々やんごとなき御事おば、思ひよらねば、そのまヽ背き居たりしお、房主なに事するぞと仰られしお、老僧心にあやしと思ひて、いとはしたなく、接木するよと御いらへ申せしかば、御わらひありて、老僧が年にて、今接木したりとも、其木の大きになるまでの命おしれがたし、それにさやうに心おつくす事ふようなるぞと上意ありしかば、老僧、御身は誰人なれば、かく心なき事おきこゆるものかな、よくおもふて見給へ、今此木どもつぎておきなば、後住の代に至て、いづれも大きくなりぬべし、然らば林もしげり寺も黒みなんと、我は寺の為おおもふてする事なり、あながちに我一代に限るべき事かはといひしおきこしめして、老僧が申こそ実も理なれと御感ありけり、その程に御供の人々おひ〳〵来りつヽ、御紋の御物ども多くつどひしかば、老僧それに心得て、大きにおそれて奥へにげ入しお、御めしありて、物など賜りけるとなん、