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草木奇品家雅見

永島先生は東都四谷に住して、享保の頃の人也、天資花木お好み奇品お愛す、其始花壇植木とて区お別地に種しお、後器に栽て壺木(つぼき)と呼、先生始て尾陽瀬戸の陶工に命じて盆お制せしむ、是お縁付(えんつき)と唱、白鍔黒鍔鉢是なり、其弁利今に於て専用る所なり、此頃より奇品大に行て、好人党お結、相唱和して是お玩、其巨擘として、世人永島先生と推崇、今に栄ふる永島連是也、珍品お玩事、実に先生お中興の祖とす、集る盆栽千お以算、自培養灌園(つちかひみづうち)に他事お廃して、老将至おしらず、或詰曰、先生彼兼好が徒然草お閲すや、先生笑答曰、資朝卿の雨舎して棄給ひしは、今我徒の玩奇品には非、夫我愛る錦葉銀樹皚々として白きは、月下の花にも勝り、また時しらぬ雪かと〓、斑斕帯紅の絳なるは、末秋の紅葉おみす、筆も及ぬ葉形、変砂子、黄斑、黄金色に至迄、天生の麗質にして、人作の能する所に非、斯珍品奇種誰是お愛重せざらんやと、問人此答に感伏して、作此門に入て好人と成、朝比奈、初鹿野の二氏これなり、今好人の盛る、此人々お以嚆失とす、