[p.0061][p.0062]
奴師労之
明和の頃、四谷に薬草吉兵衛といふ植木屋あり、薬草多しとて、内山先生大森見昌などともなひて見にゆきしは、わが〈◯太田蕈〉十六七の年の頃なり、〈吉兵衛楊梅瘡にて、苦しげに案内せしなり、〉 染井の植木屋伊兵衛がもとに、享保の頃拝領せしといふ躑躅の大きなるが三本あり、面向無三唐松といふ木なり、其のち尋ね見れば、其木もいづちにゆきけんみえず、伊兵衛は地錦抄つくりしものなりしが、其子孫おとろへて植木もすくなし、花屋十軒の内小左衛門八五郎などが植木よろしくありしが、是また久しくみざればいかヾにや、