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大扶桑国考

今の世にも然る大木ありやと尋ぬるに、文化九年の事とか、紀伊国熊野山の奥三十里ばかりにて、大木の榎(○○○○)お伐出せるに、元木二十抱、高さ三百二十間余り、南北へ差たる枝十九抱あり、元木の木口三十四間四尺八寸なるお、角にして廿五間ばかり有り、此木の寄生(やどりぎ)木高さ七間半余の杉七本、その外六七間以下の諸木多く、松、柊、楓、椎、柏、柿、竹、南天なども寄れりとぞ、また熊野の山奥に大杉明神と祀へる木は、三十尋余り有りと雲ふ、また陸奥国の郡は知らず関村と雲ふ所にも大杉明神とて、三十三尋余りの木ある由なるが、是等より大きなる木の有りと雲ことは未聞かず、其は大地のなほ大に成り行く間は、木もそれにつれて大樹となれるが、大地すでに成竟ては、大かた木の立延べき量の自然に定れりと見えて、右の大杉など、神世の大樹に比ては小木なれど、今しも斯ばかりの木さへに多くは聞えずぞ有りける、然れど、飛騨国高山の辺に異木ありて、枝も葉もみな三に幾(わか)れし樹なるが、其蔭一里ばかりお蔽ひて、今も立栄えありと雲へる人あり、また信濃国戸隠山の奥深き所に、一本にして二三里の間にはひ蟠れる松木あり、冬より春に至り五丈余も雪ふる所なる故に、圧れて直立すること能はず、地につけて低ければ、昔より其幹木お見し人なしと雲ことも聞たり、此等の大樹どもの事、なお其国々の人に委く問ねて、実否お知らまほしき事なり、