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大和本草
十一園木
松 まつは、たもつの意の上略なり、もとまと通ず、久く寿おたもつ木なり、史記亀策伝、松伯為百木長而守門閭、松にも亦雌雄あり、雌松(○○)は其葉美なり、葉小く木皮赤し、茯苓は雄松(○○)より生じ、松蕈は雌松より生ず、西州には雄松多き故、茯苓多し、雌松少きゆへに松蕈まれなり、畿内には雌松多く、雄松少きゆへに、まつたけ多く、茯苓少しと雲、又合璧事類に、松に二針三針五針ありと雲、名山記雲、松有両鬣三鬣五鬣、是皆其葉の数おいへり、本邦にも五鬣松(○○○)あり、五葉の松なり、葉小にして短し、又三鬣松(○○○)あり、肥松は油松と雲、常の松の肥たるなり、よくもゆ、牙杖とすれば歯堅くして不動、歯の薬なりと俗にいへり、貧民これお焼きて燭とし、又夜作に用ゆ、民用に、利あり、油多きは石より重し、松お栽るに正月お用、大なる根お切、四傍の小根おとヾめ、根土お不破して、其まヽ移し植れば無不活、高一二丈といへども、如此すればよく活、根土お破れば小木も枯る、此栽法種樹書に見えたり、今試に如此、史記、秦始皇上泰山、風雨暴至、休于樹下、遂封其樹為五大夫、史初不言何樹、応劭始言為松、秦始皇松に大夫の官お贈られし事、本邦の俗、松の名誉のやうにいへど、左にはあらず、秦皇は悪王なれば、松のために不足為栄、却て辱とすべし、李誠之が松の詩にも、一事頗為清節累、秦時曾受大夫官、梁書陶弘景、特愛松風、庭院皆植松、毎聞其響、欣然為楽、 程子曰、雑書、有松脂入地千年為茯苓、万年為琥珀之説、蓋物莫久於此、故以塗棺、古人已有用之者、 篤信曰、本草に此説なし、故にこヽにしるす、食物本草註曰、松花一名松黄、味甘温無毒潤心肺益気除風止血、亦可醸酒、払取酒服、又曰、和白沙糖米粉作糕猶佳也、綱目にも此事おいへり、久しく不堪といへり、若緑の黄花なり、国俗にも松もちお作る、そなれ松(○○○○)藻塩草曰、生傾たる也、又ひ子たる松お雲とも雲へり、愚謂磯になれて久しき松なるべし、いそなれ松なり、