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明良洪範
十七
松平丹後守〈◯重信〉在江戸の時、五葉の松の鉢植おもとめ秘蔵せり、帰国の節も、吾乗物の内へ入れて持参し、居間の椽へ置き、朝夕ながめて楽めり、然るに或朝坊主掃除おせしに、此坊主未だ十二三歳なる子供なれば、箒お持、鎗お遣ふま子おする時、其松の枝お折たり、猶道中乗物の内狭くして、痛みし枝なれば、猶安く折たる也、夫は兎も角も、主人秘蔵の松の枝お折し事なれば、小姓衆大いに心配し、有体に申さば、小坊主いかなる仕置にか逢ん、さればとて尋子られし時知らずとも申されず、何と答てよからんと、二三人寄合ひ、相談未だ決著せざる内に、丹後守起出、例の通り椽へ来り、松おながめしが、忽ち顔色おかへ、此枝は誰が折しぞと雲、小姓衆互に顔お見合せしばかり、何とも答へず、其時次の間より、小坊主進み出、私折り候と雲、丹後守はたと白眼付け、何とて折しぞと尋子られければ、小坊主答て、今朝掃除お仕り候節、箒お持て鎗お遣ふま子致し候、其節ほうきの先に障て折れ申候と雲、丹後守憎き奴つ哉と雲ながら奥へ入ける、小姓衆其儘にも置れざれば、小坊主お押込め置ける、其後丹後守鷹野に出らるヽ日、暁天に食事されける、此時野装束の上へ紙子のかい巻お引かけて、箸お取られしが、食事終りて、小坊主は二三日見へぬが、如何したるやと尋子らる、小姓衆答て押込め置き候と雲、丹後守打笑ひて是へ呼べと雲ける故、小姓衆呼来れば、丹後守引かけ居られし紙子のかい巻きお、小坊主の頭へ打かぶせ、我に遣る程に祖母に著せよと雲ながら、立て鷹野に出られける、丹後守五葉の松の片枝、道中乗物の中にて痛みしお承知なれば、其枝の折れしなれば、左も有るべしと思ひ居たるに、小坊主は痛みし枝有る事は知らず、隻自分が折しと思ひし故、其通り少しも偽らず、有体に申せしお、丹後守其正直なるお心に感じて、何とも沙汰おせざりし也、