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松屋筆記
五十一
松お植る伝 松お植る時節は、寒国暖国の不同ありと雖ども、正月彼岸より二月中植れば、百に一失なし、大木の一尺より五尺に及ぶは、掘て鋸にて根お挽切り、たヾ命根(たちね)二三本お残して、切たる廻りによき土お入ておく、俗に是お鉢といふ、又根おまはしておくともいふ、かくして明年の二月移し植べし、梢は鋸にて切べし、梢お切らざれば活(つく)ことなし、松は沙地によし、又黒土真土もよし、湿地は相応せざるよし、滕氏裕が中陵漫録四の巻に見ゆ、また橘春暉が北窻瑣談に、松の木その根さしたるやうに枝もさすもの也、枝ぶりお見てその根お知べし、外の樹木も大かた如此といへり、与清曰、松は常陸鹿島郡に生るもの奇妙也、小松お刈取し跡に、孫枝お生じて栄ゆるは、他所に未だきかず、戯に引ぬきてなげ捨置に、やがて生付(おひつく)と雲へり、余が見聞の松おほかる中に、坂東にて見たりしは、相模国藤沢宿と、南郷村の間には松が原あり、今も好き松四本生立り、同国曾我山の六本松、早川尻の四本松、本所小名木沢の三本松、下総国印幡沼辺の大松、武蔵多摩郡小山田村神明宮の大松、同郡下矢部村八幡宮の大松、鹿島大神宮の神木など挙尽しがたし、高砂、住吉、武隈、辛崎の類の名木は、別に古書お抄出して記すべし、