[p.0096]
太平記
三十
吉野殿与相公羽林御和睦事附住吉松(○○○)折事 憂かりし正平六年の歳晩て、あらたまの春立ぬ、〈◯中略〉二月二十六日、主上〈◯後村上〉已に山中お御出有て、〈◯中略〉東条に一夜御逗留有て、翌日頓て住吉へ行幸、〈◯中略〉住吉に臨幸成て、三日に当りける日、社頭に一の不思議あり、勅使神馬お献て、奉幣お捧げたりける時、風も不吹に、瑞〓の前なる大松一本、中より折て南に向て倒れにけり、勅使驚て子細お奏聞しければ、伝奏吉田中納言宗房卿、妖は不勝徳と宣て、さまでも驚給はず、伊達三位有雅が、武者所に在けるが、此事お聞て、穴浅猿や、此度の臨幸成せ給はん事は難有、其故は、昔殷帝大戊の時、世の傾んずる兆お呈して、庭に桑穀の木一夜に生て、二十余丈に迸れり、帝大戊懼て伊陟に問給ふ、伊陟が申く、臣聞妖は不勝徳に、君の政の闕る事あるに依て、天此兆お降す者也、君早徳お修め給へと申ければ、帝則諫に順て、正政撫民、招賢退佞給しかば、此桑穀の木、又一夜の中に枯て、霜露の如くに消失たりき、加様の聖徳お被行こそ、妖おば除く事なるに、今の御政道に於て、其徳何事なれば、妖不勝徳とは伝奏の被申やらん、返返も難心得才学哉と、眉お頻てぞ申ける、其夜何なる嗚呼の者かしたりけん、此松お押削て、一首の古歌お翻案してぞ書たりける、 君が代の短かるべきためしには兼てぞ折し住吉の松、と落書ぞしたりける、