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玄同放言

三浦平松(○○○○)〈国崎天道松附出〉 相模国三浦郡一色村にふりたる松ありけり、土人これお平松と唱ふ、松のある処、守渡(もりと)より浦賀路お、十五六町なるべし、近きころより、件の松に霊あり、祈ればよろづの病著平〓すとて、近郷の人はさらなり、江戸より詣るも亦多かり、その詣るもの、線香お樹下に立てヽ、黙禱す、願事成就の日は、各芝お蓻え、小幟お建てヽ、賽せざるものなし、小坪の漁夫等、海の幸なきとき、この幟お借りて、その船にたつれば、究めて獲多しとなん、松の前面なる端山の裾に、いとわびたる茶店ありて、線香お粥けり、眼お病むものは、この樹の虚なる水お乞ひ得て、竹筒にたくはへ、携へかへりて眼お洗へば、果して応験ありといふ、原この松蔭に、山王の禿倉あり、更に件の松お斎祀て、平松権現と号く、丙子の初冬、余〈◯滝沢解〉は興継に扶掖れて、江島に遊べるかへるさ、目擊する所なり、木たちのさま、よのつねの物にして、守渡の千貫松には似るべくもあらず、秒繁からで、隻向上るばかりなるお、などて平松となづけけん、むかひて左なる大枝は折れたり、二十とせばかりさきの年、雷の落ちたることありけり、そのとき折られたりといふ、茶店の翁が問はずがたりいとおかし、然らばなほその頃は、この樹に霊のあらざるなめり、現に数百年なる物とは見えず、いかなる草鞋大王が、凡夫の為に福ひして、飽まで斎きまつられけん、生物識のかなしさは、いと解しがたきことにぞありける、