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播磨名所巡覧図会
三加古郡
尾上松(○○○)〈四丁四方の松林にて、長田の荘にあり、四季ともに松露お産す、〉住吉明神祠大原大明神〈同林中にあり、例祭八月卅日、〉 社記雲、播州尾上は、神功皇后三韓征伐御帰朝の後、住吉の御神と同村の鎮座也、高砂と号く所、東は池田より、北は此所に続き、人家多くて、船の往来も程近く、漁猟のたよりもよろしきに、世変年お積みて、泊りの波も遠浅となり、船の出入もよろしからずとて、又数年お経て、今の高砂といへる所へ、家どもお移し、同所ながら高砂尾上と相別ちて隔事八丁計也、相生の松は、天正の頃、羽柴秀吉、三木城別所小三郎お責る時、小三郎救ひお毛利輝元に請ふ、即芸州より小早川隆景、吉川元春両大将にて総勢三万余騎、兵船二百余艘、明石郡魚住の浦に著き、粮お三木城へ運送の後詰の為に、総軍今の尾上高砂の辺りに陣お取り、かの松お伐て策とす、夫より枯朽て、慶長九年領主池田輝政の沙汰として、枯根の上に神祠お移し、左方に鐘楼お建てけり雲雲、〈後又祠の艮に移す〉