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広益国産考

杉木仕立方 杉檜松の良材たるや、神社仏閣家造、其外の普請に至るまでも、此材お用ふるに事たらざるはなし、往昔より人多くなるにしたがひ、所々の山々に植て、其産ずる材木多きうち、和州吉野郡の杉木、木曾山の杉檜、其外諸国より出るといへども、日向の国より出る材木最も多し、諸方より伐出す所の材木は、中々挙るにいとまあらず、百五六十年ほど已前、吉野郡へ薩州屋久の島より杉の実お取来りて、蒔つけ苗お拵へ、谷々の山へ植弘めしに、深谷ゆえ成木して、今は此一郡より板にわきて諸方へ商ひ、又柱やうのものに伐て谷河お流し、吉野川にて筏となし、末は紀州の海辺まで出し、船につみて諸国へ商ふ事、幾万両といふ事あげてかぞへがたし、援おもつて考ふれば、吉野郡へ未だ杉材なき時は、右の金湧出る所なきに、現在夫だけは昔より余分に金銭お産出せり、又此材木につき金お儲るもの、まづ地主木伐木挽山出し筏師中買材木屋等の口腹お養ふ事火し、しからば人の智お以て、此深山幽谷よりかほどの産物お出せり、此材なきときと、今如此益となる所お考へ見て、不毛の地お徒に見過す事の有べきや、〈◯中略〉 杉お植べき土地の事 杉は平面の地の打ひらきたる所は宜しからず、又砂地石多き地、乾き地の芝山なども、又宜しからず、深山の谷河深く流れなだれの地の、日中二時か三時が間日あたりよく、其余は日陰にて雑木ありて、土は始終しめやかにして、谷底辺には水草〈箱根にて、やねぐさともいへり、〉ひあふぎの葉に似たる草多く生立、しん〳〵としたる所宜し、吉野郡天の川などヽ雲る所は、皆かくのごとくの地にて、杉の盛木至つて見事なり、杉は暖国より寒国の方宜し、暖国にても山ふかき陰地の北おうけて、湿ふかき地には随分よく生立もの也、朝霧ふかく立覆ふ地ならば、かならず生育よろし、 杉の種子おとりて貯へ置まく事 秋の土用前より土用中実おとり、軒下にひろげ乾し置ば、寒中には己と落るなれば、よく叩き落して、紙の袋やうのものヽ中に入貯へ置て、春の彼岸に取出して蒔べし、若蒔おくれたるは、五月上旬までに蒔ても宜し、随分彼岸頃おはづさず蒔かた宜し、おそく蒔たるは、寒中と翌年の暑にいたむものなり、 苗床お拵ふるは土地のよき所にすべし、真土ならば砂お少々入切交て宜し、扠地およくならし、糞水お一面に打、十日ほど干て鍬もて切まぜ、又よく地おならし、夫にばら蒔にして、其上に砂と土とお合せ、竹の篩にてふるひかけて、うすく蒔、きせ藁おばらりと置べし、然すれば雨にてたねお打あぐる患ひなし、五月入梅過る頃は、右置たる藁大体腐る也、其とき蒔たる種子少し生出る也、右蒔床の四方には犬など入ざるやう、臍丈位にわらおもて垣おすべし、扠はえ出たる時、垣の上より葭簀お覆ひにすべし、猶日中は覆ひ、夕方より朝四つ時までは覆ひおとるべし、六月土用まへ迄に、小便に水六分お加へ和て二度もかけ、草生ぜば油断なく取すつべし、しかすれば三四寸に伸出るなり、 其冬は上に屋根おこしらへ、雪霜のかヽらぬ様覆ひして、其まヽ置べし、〈◯中略〉 三年目の苗お翌四年目の春植る事〈◯中略〉 扠右山に植たる杉苗は、肥しとてする事なけれども、下に生るいばらの類は、一年に壱度も刈とり植て、二三年も立て下ばらひとて、下の枝お伐とるがよし、薩摩にては下枝お落し、木ぶりお作るよし、斯いたしなば、下のむせ枝おとるゆえ、木の成長よき道理なり、凡植付てより四五年も立ば、火吹竹位になるなれば、其内いがみある木ぶり悪きお撰び、間引心(まびくこゝろ)にてぬき伐(ぎり)すべし、余国にては、はじめ植るとき、弐三尺も間おき植れども、吉野郡にては繁くうえ三四年にて間引(まびく)ゆえ、木にいがみなく生立なり、始よりあらく植たるはいがみてきる也、最早八九ヶ年になれば、抜伐するが宜し、此伐たるは垂(たるき)になる也、十二三年迄の内、追々見計らひて抜切すれば、残りたる木二十年立ば壱尺七八寸弐尺に廻る、三十年目は弐尺五寸より三尺廻りと、大体壱ヶ年一寸のわりに、十け年に壱尺廻りづヽは成長して、五十年目には凡五六尺廻りの材にはなる也、是は皆吉野郡の杉作る人より聞所なり、 壱丈柱弐丈(いちじやうはしらふたたけ)お、二十年目に伐出せば、吉野の山にて一本〈但一丈二た丈〉銀三分ぐらい売直段なり、猶是より伐賃川流し等の掛り物かヽれば、山にてはかくのごとく下直也、