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古事記伝
二十五
檳榔と雲物は、和名抄に、兼名苑雲、檳榔、葉聚樹端、有十余房、一房数百子者也、本草雲檳榔子、一名〓子とありて、和名は見えず、続紀卅四に、檳榔扇、斎宮式年料供物の中に、檳榔葉二枚、戸坐所料など見ゆ、又檳榔毛車と雲あり、小右記に、長和三年十二月廿五日、左大臣命雲、檳榔太難得、諸卿雲用唐車、女未聞此議如何者、答雲、古檳榔毛車、毎年不改調、随損壊改替、有何事乎、依毎年改張、為難得物、至唐車不甘心とあり、或人雲、びりやう毛の車などのびりやうは、蒲葵と雲物なり、其おびりやうと雲は、比閭の音なり、然るに比閭は、今雲しゆろの木にて檳榔には非るお、古にも誤て、しゆろの木お、蒲葵とせしことありしに依て、此国にても、蒲葵お比閭として、びりやうと雲、檳榔字お用ひ来れるなりと雲り、今思に、此説さもあるべし、然れども、びりやうお比閭の音と雲るは、非ず、びりやうは、びらうとも雲れば、即檳榔字音なり、和名抄にも、檳榔、此間音旻朗と雲り、さて古に阿遅麻佐と雲し物は、檳榔字おば当つれども、実は檳榔か蒲葵か定めがたけれども、中昔に檳榔扇檳榔毛車など雲し檳榔も、蒲葵と聞ゆれば、阿遅麻佐も蒲葵ならむか、今薩摩に檳榔島と雲ありて、其処に在も蒲葵なりと雲り、檳榔と椶櫚と蒲葵とは、大かた似たる物にて、既に漢国にても、まぎれつることあれば、況て此方にて、古其漢名お当しは、まぎれけむことうべなり、さて土佐国の海にも、びらう島と雲ありて、人家などはなくて、山はこと〴〵くびらうの木生たりと雲り、