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古事記伝
二十五
檳榔之長穂宮、檳榔は、阿遅麻佐と訓、此は地名と聞えたれども、他に物に見えず、出雲の国内にはあるべけれど、何処許なりけむ詳ならず、〈国人の説に雲く、垂仁天皇の皇子の、大社に詣たまふとき、天穂日命の十五世、来日田維命迎奉て、肥川に黒樔橋おわたし、檳榔の木お以て仮宮お作り、大御食奉れり、その宮お、長穂の新宮と雲り、其地お古は長穂邑と雲しお、此よりして、にひみや村と雲しお、今は字音に新宮村と雲て、神門郡にありと雲はいかにあらむ、なほよく尋ぬべし〉若は出雲郡楯縫郡のほどならむか、下に考あり、又思ふに、びらうの葉は、六七尺ばかりなるもありて、いと長く、上へ立のびたる物なれば、檳榔は、長穂の枕詞におけるにもあるべし、