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古事記伝
四十二
榛は〈諸本に榛と作るは誤なり、今は真福寺本、延佳本に依れり、〉此は波理能紀(はりのき)と訓べし、〈たヾ波理とのみ訓むはわろし〉今俗に波牟能木(はむのき)と雲物なり、万葉の歌に榛とあるも是なり、〈皆波理と訓べし、波岐と訓て萩と心得たるは誤なり、〉契冲雲、顕昭萩と榛とお一に雲れど、万葉に草のはぎおば、芽とも芽子とも書り、木のはぎに榛字お書り、榛ははりなり、はぎと雲は、はり木と雲べきお、りもじお略せるなり、俗にははんの木と雲、日本紀に蓁摺衣などあり、万葉に衣お染とよめること多し、今も田舎などには、榛お植置て、染具とするなり、萩も萩が花ずりと雲ことある故に、顕昭は誤られたり、榛は全く芽子(はぎ)に非ず、よく万葉お見て弁ふべしと雲るが如し、〈但し雲ざままぎらはしきことあり、草のはぎと雲るは萩のこと、木のはぎと雲るは波理のことなり、是混らはし、其故に草なると木なると二種ありて、顕昭が榛と雲るは、木なる萩のことにて、榛お其に当たるは誤なれども、契冲なほ此お波岐と訓て、木のはぎと雲るは、かの木なる萩のことの如くにも聞えてまぎらはしきなり、榛と書るは、波理の木にして萩には非ず、但し波理おも波岐とも雲しことは有しか知らず、若波岐とも雲しことあらば、契冲が雲るごとく、波理木の略なるべし、そはいかにまれ、万葉に榛と書るは波理なり、たとひ波岐とは訓とも、萩のことには非ず、又万葉なる榛お、波岐とは訓べきに非ず、凡て万葉によめる榛と芽子とは、歌のさま異にしてよく分れたり、榛は衣に摺ることおのみよみて、花およめることなく、芽子はむねと花およめり、然るお師の万葉考別記に、榛おも花咲芽子と一なりと雲れたるは誤なり、一巻に、引馬野爾、仁保布榛原、入乱、衣爾保波勢とあるも、色よくにほへる波理の木原に入交りて、衣お摺れと雲ことなり、三巻に、往左来左君社見良目とあるも、榛木お見むと雲にはあらず、真野之榛原の凡て地お見むと雲るなり、此上なる歌に猪名野者見せつ角野(つぬの)松原何時しか見せむとある類なり、榛お萩の花のことヽ勿思ひまがへそ、十四巻に、伊可保呂乃、蘇比乃波里波良、波良和我吉奴爾、都伎与良之母与雲々、一巻に狭野榛能、衣爾著成、此二首など、衣に著と雲る趣向同きお以ても、榛は波理と訓べきことお知べし、さて又榛字お〓に従て蓁(はり)とも書るに就て、なほ萩ならむかと疑ふ人もあるべけれども、蓁は榛と字の通ふお以て通はし書るのみ也、〉