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和字正濫要略
椎 しひ 和名に之比、日本紀に椎此雲辞毘、古事記宣化天皇段に、火穂(ほのほの)王者、志比陀君之祖といへるお、日本紀には椎田とあり、又古事記応神天皇の御歌に、志比比斯那須伊知比韋能(いちひ井の)、これ椎のごとくなる櫟とつヾけさせ給へるなり、志比比とは、久比お倭建尊の久毘比とよませ給へるがごとし、古語なるべし、那須とは如五月蠅お日本紀にさばへなすとよめるなすに同じ、万葉第十四に、四比乃故夜提、又思比乃佐要太、延喜式第七大嘗会式雲、柱将椎枝、〈古語所謂志比乃和恵〉兼輔卿家集に、十干お隠題によまれたる中に、ひのえおよめる歌、はし鷹のとがへる山のしひのえはときはにかれぬ中お頼まん、又、上の香椎の宮おさま〴〵に書る真名仮名たがひに証拠也、俗にしいとのみ書きなれ、俗書にこれお執する故に、見及ぶにまかせてしげきおいとはず、証お引也、見む人心あるべし、