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古事記伝
三十六
御綱柏(みつなかしは)、造酒司式大嘗祭供奉料に、三津野柏(みつのかしは)二十把、〈日八把〉長女(ながめ)柏四十八把〈日十六把〉とあり、〈二十把は二十四把なるべし、四字脱たるなり、〉同東宮料にも如此あり、大嘗祭式に、酒柏の事所々見えたり、大神宮儀式帳六月祭条に、雲々即大神宮司諸司官人等更発、第五重参入就坐、即倭舞仕奉、先大神宮司、次禰宜、次大内人、次斎宮主神司諸司官人等〈其舞畢、人別直会酒采女二人侍、御角柏盛人別給、〉雲々、また九月祭条にも、雲々其直会酒波、采女二人第四御門東方侍氐、御角柏盛氐人別捧給、〈此事大神宮式にも見えて、其にはたヾ柏とあり、〉外宮儀式帳にも同く見えたり、御綱(みつな)三津野(みつぬ)御角(みつの)みな同じことなり、古は凡て都怒都能都那(つぬつのつな)は、通はし雲る例なり、此柏は葉三岐にてさき尖りたれば、三角の意の名なるべし、〈荒木田経雅雲、今大神宮祭に用る三角柏は、俗に三柏と雲物なり、葉厚くして潤沢あり、常葉(とこは)なり、俗に大名柏と雲葉に似て、岐三にて鋒皆尖れり、外宮にては、今赤芽柏お三角柏として用ふれども、十二月祭にも、六月九月と同く用る事なるに、赤芽柏は冬は葉なければ用ひがたし、古の三角柏に非ずと雲り、又伊勢の或書に、按に三節祭御遊の柏酒お、年中行事には女官に柏お持しめ、今一人の女官榊葉にて柏上に灑くと見えたり、今は杓にて榊葉の上に灑て、柏お用ること絶たり、名高き柏なれば再興ありたき事なり、志摩国土貢より今なほ忌物お貢す、其中に三角柏あり、葉の形穀の葉に似たりと雲り、是お見れば柏お用る事、中ごろ絶たりしに、今は又用るは、其後再興ありしなるべし、然れば今用る物古のに合へりやいかヾ慥ならず、土貢と雲処より絶ず貢るは、何れの柏ならむ、なほよく尋ねべし、谷川氏雲、伊勢神宮にて三角柏と雲は、犬朴の木なり、大和国にては児手柏と雲と雲り、是は赤芽柏のことにや、赤芽柏は俗にあかべとも雲木なり、〉新千載集恋二に、御裳濯川お雲処に、斎宮とヾまり賜ひて御祓し賜ふに、女房お立隠れつヽ見るに、三角柏と雲柏おおこせて、此は何とか雲と雲りければ、申し遣しける、祭主輔親、吾妹子が御裳濯川の岸に生る君お見つのヽ柏とお知れ、〈四の句、他書に引るには、みな君おみつヽのとあり、新千載集には直して入れられたるにや、〉続古今集恋四に、小侍従、思ひあまり三角柏に問事の沈むに浮は〓なりけり、〈鴨長明が伊勢記雲、此国に三角柏と雲物あり、小侍従が歌に、神風や三角柏にとふことの沈むにうくは〓なりけり、とよめり、これにて占ふ事あるにや、年ごろおぼつかなく思ふことお、此度人々に尋ぬれば、え聞及ばぬよしおのみいふ、いかなることにか、此柏輔親卿集に、みもすそ川の岸に生るとよみ侍るは、其わたりにあるかとて尋ぬれば、昔やありけむ、今世には志摩国の内に、とくの島と雲処にあり、木の上にかづらのやうにて生たるおのぼりてきりおろす時、ひらに伏て落たるお取ず、竪さまに落たるばかりおとる、其落やうにぞ問事のありとかや雲伝へたる、是は神宮四度の御祭の時必入物なり、御前の御遊はてヽ四の御門の腋にとくらのこと雲おほみわお設く、社のつかさ、此三角柏お各一葉づヽ持てよれば、其上に此みわおそヽぐ、ことさら是お腰にさして出るなり、長柏とも雲にや、寂阿法師百首歌の中に、思ふ事とくの御島の長柏長くぞ頼む広きめぐみおと雲り、かやうに聞けど、未其すがたおば見ず、此日或人の許より贈れり、柏のやうにて広さ三四寸、長さ三尺ばかり、まことに常の木草の葉には似ずとあり、三尺とは枝お雲るか、葉の長さならば三寸お写誤れるにや、袖中抄にわぎもこが御裳すそ川の岸にあふる人お見つヽの柏とおしれ顕昭雲、輔親集雲、斎宮の九月祭に詣賜る夜、みもすそ川に斎宮とヾまりおはしますほどに、女房とまりて三角柏と雲柏おおこせて、是は何とか雲といへれば、詠ずる歌なり、中納言俊忠卿の家にて、恋十首の中に、逢事お占ふと雲る題お、俊頼詠雲、神風や三角柏に事問て立お真袖に包みてぞくる、私雲、或人雲、伊勢大神宮にみつの柏お取て占ふ事あり、投るに立は協ひ、立ぬは協はぬなり、此故に逢ことお占ふに立はあふべければ、取て袖に包みて悦ぶなり雲々、三角と雲るは三葉柏かとあり、〉