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紀伊続風土記
物産六下
御綱柏〈古事記 仁徳紀、御綱葉、 止由気宮儀式帳、御角柏、 類聚国史、三角柏、 丹生明神告門、三津柏、 丹生明神系美津乃加志波 延喜酒造司式三津野柏 寂阿法師百首歌、長がしは、 拾玉集、三角長柏、 釈日本紀引筑紫風土記御津柏 袖中抄しつヽのかしは 又三綱柏 又三葉柏◯中略〉古事記伝に御綱(みつな)、三津野(みつの)、御角(みつの)みな同じことなり、 右は凡て都怒都能都那(つぬつのつな)は、通はしいへる例なり、此柏は葉三岐にて、先尖りたれば、三角の意なるべしといへり、按ずるに、此木古書には形状おいはず、中古より今に至りて諸説紛々として的当の説なし、今牟婁郡潮崎荘潮御崎には、御綱柏といふ者あり、高さ丈許、其葉大さ五寸許、五尖にして、中尖大にして、左右の四尖は小なり、周辺鋸歯ありて厚く、茎葉共に澀毛あり、四五月の間、五弁小白花聚り開き、後赬桐の如き実お結ぶ、忠粛が柏伝余考に、原御史維庸卿の説お載せて図するもの是なり、然れども此葉十月に至り凋落す、真物にあらず、今和泉、紀伊、伊勢、志摩、其余南方の海辺に産する一種の樹あり、俗に三手柏(みつでかしは)といふものヽ属にして、樹高大になりて、葉至りて厚く〓く、滑沢あり、葉面深緑色にして背淡し、大さ三四寸許、形三手柏の如く、鋏刻深からず、円くして微に三尖あり、故に円三手(まるみつて)といふ、夏月の頃、小白花聚まり開き、秋に至て黒実お結ぶ、此葉四時凋落せず、葉心凹みやすく、物に盛によし、これ真の三角柏なるべし、潮御崎にも此木処々にあり、土人は是お三角柏と呼もしてみづき〈名義詳ならず〉といふ、これは伝聞く、元禄の頃、京師の人、此所に来り、初めてこれお見出し、妄りに三角柏に充てしより、土人却て真の三角柏おしらざるなり、弁別すべし、