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古今要覧稿
草木
久沼木 久沼木は霜後黄色に染なして落葉せざるものなり、されども年久しき老木は落葉せり、又その木の雌雄にて、落葉するとせざるとの別ありといへり、東雅に雲、歴木くぬき、昔景行天皇筑紫の道の国に幸有て、御木の高田の行宮におはしませし時に、僵樹長九百七十丈ありて、皆人其樹お踏てゆきかふ、其樹の名お問はせ給ひしに、独の老夫有て、是は歴木なり、いまだ僵れざりしさきには、朝日には杵島の山お隠し、夕日には阿蘇山お覆ひたりきと申せしかば、其地御木国となづけ給ひしと日本紀にみえて、その事また筑後国風土記にも見えたり、和名抄に本草お引て、挙樹くぬき、日本紀の歴木なりと注し、また釣樟一名鳥樟おもくぬきといふと注せり、これ二物にして一名なりとみえたり、一説に釣樟おばなみくぬきといふと見えたり、〈藻塩草に〉くぬきの義不詳雲雲、岡村尚謙曰、久沼木は和名抄引本草挙樹、和名久沼木、日本紀私記雲歴木とあり、今按に歴木の下、疑くは細注お脱するに似たり、例お以これお推す時は、和名上同の四字あるべし、その意けだし本草の挙樹と、日本紀の歴木とは、和名同してその異木のやうなるおいふ、〈◯中略〉和名抄所引日本私記の久沼木即此樹おさす、爾沼五音相通、即国木の義也、その挙樹お久沼木と訓ずる物は、今もその木お久沼木とも、久乃木ともいふ物にして沼乃五音相通、蓋久利乃木の省呼なり、こはこの木の葉細長にして、全く栗葉に似たる故に名づく其義国木とは絶て異なり、これに葉の落ると不落との二種あり、万葉集にいはゆる和可歴木は、蓋し仮借にして、即今の挙樹也、又後世の歌書に久沼木お釣樟と書るは、和名抄に釣樟、和名久沼木といひしによれど、これも仮借にして本字にはあらじかし、又新抄本草に、挙樹、和名之良久奴岐、一名奈美久奴岐と訓ぜり、之良久奴岐、今何物たる事おしらず、蓋久奴岐の皮の白色なるおさしていふ、その奈良久奴岐また釣樟と同名雲々、くぬきは漢名甚多くして諸説あり、本草綱目に橡は実お以本条とす、