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白石子筆語

一読倭人歌の事、古人読之意趣と、後俗の解し候て、物に名づけ候意とおのづから別れし事のやうに、かねて存寄たる事に候、其故は仙覚等の説にも、ならの葉と申すは、なら〳〵としたる葉と見え候、此なら〳〵と申すことぞ、古語の柔かなる貌お申す所と見え候歟、次にかしわと見つけ候葉の事、かねても申述候ごとく、古上世より以来こなたの俗、食物お盛り、食物お蓋ひ候て用ひ候には、必らず葉お用ひ候、きならのひろはるとも申候て、柔にして大きな葉おば、殊に用に中れるものとし、必しもその木の葉とさしさだめたるものとはなしに、なにともあれ、膳に用ゆべきものおば、かしわと申したる事にて候、此事ふかくも心得わかちがたき事にや、三綱葉などの事も、とやかくと申す事にて、伊勢の神供に用ひられ候ものは、よのつねにかはり候事と申す歟、葉字読てかしわと申すにても、事はわかれ候べく候、尊兄御発明の黄鶏の義と同じかるべく候、しかるお後人かしわといふものお、必らず其一物ある事と心得るよりして、事はむづかしくなり候歟、但しむかしおほやけにして、膳職の用ひる所は檞葉にかぎり候事と見え候、生なる干たるなど貢し諸国の例など式に見え候き、〈◯下略〉