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古今要覧稿
草木
奈良 奈良は倭訓栞に雲、奈良お日本紀に平とみえたり、よて平城ともいへるなり、ならの葉の名におふみやとよめるも、平城の宮おさして申せるなり雲々、日本紀和名抄に楢お訓ぜり、新撰字鏡に柞又椎又〓およみ、万葉集に〓櫟などおよめり、葉の広く平らかなれば名とせるにや、よてならのはかしは、ならのひろはなどよめるなり、またならしばともよめり雲々、楢は和歌に多く詠ずるものなり、其霜葉も又詠ぜり、藻塩草にならのはかしは紅葉してといへり、岡村尚謙曰、奈良は和名抄引唐韻楢堅木也、注音秋、又引漢語抄和名奈良とあり、新撰字鏡には柞〓〓椎の四字お倶に奈良乃木と訓ぜり、楢お以て波々曾とす、まさに、和名抄と異なり、今案に奈良楢奈流也、良流五音相通す、此葉変黄の時なほ枝梢に附著して不落、其葉風お得て鳴動する故に、ならとは名付し物ならん、又流波の反良にて、奈良は即なる葉のよし、友人是観はいへり、扠夫木集に、風の音は楢の落葉に吹初てゆふしめなびく加茂の神山、後拾遺に、榊とる卯月になれば神山のならのは柏もとつ葉もなし、とよめるは、冬月落葉するにはあらず、新葉まさに生ぜんとして、故葉即落るおいふ、また此木は黄葉にして紅葉はせぬものなり、されど夫木集に、そめわたすしぐれふりての紅の八塩の丘の楢のはもみぢ、とよめるは、たヾ八塩お八入にとりなして、紅の字お冠辞に用ひられしにて、その実は奈良の葉の変紅せしにはあらじかし、凡奈良の葉は槲より稍小くして、鋸歯最尖れり、大和本草にいふ、大奈良は即これおさしていふ、一種木良の木(○○○○)あり、其木高さ二三丈余にいたる、葉前条の物より至て小にして且薄し、其葉経霜黄色に変じ、深冬にいたれば皆落脱して、枝上に附著する事絶てなし、憶に古いはゆる古奈良は蓋し是なるべし、これお漢名勃落樹といふ、〈鎮江府志勃作勃〉その名、証類本草、肉蓰蓉条、日華子の説にみえたり、今按に、勃落は、けだし此葉変黄脱落の貌おさしていふ、従前諸家皆鎮江府志に眩し、勃落樹お以、矮低のものとす、しかれども肉蓰蓉、生勃落樹下、並上塹上といふ時は、其樹必矮低の小樹にあらざる事しるべし、故に蘇公も西人の説お引て、蓰蓉大木間及土塹垣中多生ずともいへり、かヽれば勃落の大樹たる事は、其義推てしるべし、又一種従前こなら(○○○)と称するものあり、これは万葉集に櫟柴お以ならしばと訓ずるものにして、即鎮江府志に雲、勃落樹高二三尺、葉如檞而叢生するもの是なり、されど、本草家者流これおのみ勃落樹とのみ心得しは、疎漏の至りといふべし、又一種水奈良(○○○)あり、其葉奈良よりはまた薄くして、黄葉は尋常のものよりよろしとす、扠巍志倭人伝出真珠青玉、其山有丹、其木楓香猶予樟〈下略〉と見えたり、かヽれば楢お以て一木の名とする事、その由来ひさし、又説文に楢は柔木也といへるは、和名抄唐韻お引ものと相反す、よろしく研窮すべし、