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紀伊続風土記
物産六下
榕(あかう)〈南方草木状〉一名倒生木〈通雅、日高郡にておほきの木、此樹大なるもの高さ数十丈、周囲数抱、冬月葉枯ずして、三月頃新葉生じ、旧葉脱す、形冬青葉に似て闊く、天仙果葉に似て厚く、紋脈異なり、七月の頃花なくして、無花果の如く、木幹及孫枝処お定めずして実結ぶ、形も亦無花果の如くにして小く、初青く、熟して赤し、土人採りて食用とす、方言やうのみといふ、樹経年のもの、梢及枝上より長細根下垂して、次の条に著き、其著たる枝より又長細根下垂して、又次の枝に著き、此の如すること幾数にして、〉〈後には地に垂り、根梢地に入て樹となり、又細根下垂して頗怪状おなす、其枝の著たる根お悉離せば、幹に輪困の形あり、小児其細根お紐となし弄ぶ、四五尺より長きものは数丈に至る広東新語に榕鬚といふ、其枝霖雨中に挿みてよく活す、其幹大なるは中空により、下質脆くして材とならず、又此樹に生ずる菌おおほきたけといふ、形香簟に似て白褐色、味美にして毒なし、〉薩摩にて方言あかうといひて、海辺処々に産すといふ、本国にては海部郡衣奈荘より、日高郡三尾荘比井御埼までの間、海辺所々にあり、其余他州に産する事お聞かず、漢土にても北地には産せず、唐の劉恂の嶺表録異に榕樹桂広容南府郭之内多栽此樹、〈葉如冬青、秋冬不凋、枝条既繁、葉又蒙細而根鬚繆摎、枝幹屈盤、上生軟条、如藤垂下、漸及地藤梢入土、根節成一大樹、三五処有根者、又横枝著隣樹、則連理、南人以為常、不謂之瑞木、〉といひ、又品字揃に、榕惟生閩中、福州猶盛、故号榕城といひ、嶺南雑記に、榕樹閩広最多、他省則無、故紅梅駅以北無榕といへり、皇国にても京〓の間に希に苗お盆種して珍玩するものあれども、大樹となりがたし、