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松屋叢考

三樹考 桂は、和名抄に、兼名苑雲、楓一名〓、和名乎加豆良雲々、また兼名苑雲、桂一名〓、和名女加豆良雲々、字鏡に、楿加豆良雲々、〈楿は香木の合字也〉本草倭名に、楓樹一名〓、一名格拒、已上出兼名苑、和名加都良雲々、古事記〈上巻〉に鳴女自天降到、居天若日子之門湯津楓上雲々、〈神代紀上巻には、湯津杜木之秒雲々、杜木此雲可豆羅雲々、また一書に湯津杜樹之秒、など書たり、〉また塩椎神の火遠理(ほおりの)命に教ていへるに、其綿津見神之宮者也、到其神御門者、傍之井上有湯津香木雲々、訓香木雲加都良雲々、即登其香木以坐雲々、〈神代紀下巻には、井上有湯津杜樹、枝葉扶疏と書たり、〉万葉〈七の巻〉に、向岡之若楓木下枝取花待伊間爾嘆鶴鴨(むかつおのわかかつらのきのしつえとりはなまついまになけきつるかも)、源氏物語花散里に、かつらの木の追風にまつりのころおぼしいでられて雲々、〈◯中略〉下学集〈草木門〉に、木犀(もくせい)桂也雲々など、物におほくみえて、此中に櫺(おかだま)お女加豆良、木犀お乎加豆良とわけていへり、櫺は実お結べば女にたとへ、木犀は花のみ咲て実なきゆえに男にたとへしなるべし、いにしへ、賀茂祭のはこの木犀なるお、中比よりあやまりて、白楊の類の木お用れど、こはかほりもなく、した風なつかしきものならず、〈◯註略〉又大嘗会に用る榊お玉串といふも、榊は例の櫺(めかづら)にもあれ、木犀(おかづら)にもあれ、楠にもあれ、樒にもあれ、常葉にて香き木おいへど、そが中ことさらに玉串には丹陽木(おかぐまのき)お用るゆえの称ともすべし、俊頼朝臣の斎宮内侍にあひぐして伊勢に侍りける時、六条修理大夫のもとへおくれる歌に、とへかしな玉ぐしの葉にみがくれて鵙の草ぐきめぢならずとも、〈◯註略〉太玉串の榊の葉かげに、鵙の草隠せしやうに深(み)がくれておれば、そなたより見おこす目路(めぢ)の間には、吾不在(われあらず)とも尋問来かしとの心也、此歌によめるも、神宮にもてはやす玉くしの木にて、櫺なるべし、下総国香取郡神崎神社に、なんじやもんじやといふ木あり、〈何ぞや物ぞやの訛なり〉これも櫺(おかだま)の一種也、また日向国高千穂峯におかだまの木とよぶものあり、伊勢、丹波などにもありといへり、〈◯註略〉常葉の香木にて、赤実房おなせば、小香玉(おかだま)といふ名おへるはむべなれど、さる少(まれ)なるものおのみとり出て、神事にもちふべくもあらねば、久須多夫(くすたぶ)、大多比(おほたび)、白多夫(しろたぶ)など、すべて櫺(おかだま)といへること疑べからず、 高千穂の、おか玉の木は、から国の広心樹のよし岩崎氏説なり、