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桜品
糸桜 彼岸桜と花全同、但枝軟嫋々如柳枝、往昔黄檗の唐僧に訪問せしに、垂糸海棠なりといへり、按垂糸海棠の名出干海棠譜、按洛陽花木記に、垂枝一名軟条といへり、今の糸桜の形状に合せり、然れども二如亭群芳譜垂糸海棠の下に、西府海棠お出す、茎枝やヽ堅といへり、然れども西府海棠は今の桜に似たり、垂枝といふも枝の垂るヽにはあらずして、苞の中より糸お吐出して、其先に花の垂るヽおいふと見えたり、然れば垂糸は今の桜の総名にして、ひとり糸桜お指すにあらず、唐僧偶糸桜おさして垂糸と雲しより、習而不察、不知糸桜は軟条にして非垂枝、拠女南甫史、地棠花(やまぶき)の条に、垂糸海棠似棠棣花とあるときは、今の桜中の江戸桐谷伊勢等おさすこと分明なり、畢竟今の桜は海棠の一種にして非桜、そは即ち桜桃にして、今のゆすら梅なり、垂枝と類自別なり、又按に垂枝海棠二種あり、同名別物なり、一種は古来所称糸桜、一種は今のさくら是なり、按に行厨集花木門に垂枝海棠の条曰、吐糸向下、花似地棠花とあり、今のさくら皆茎長下に垂、吐糸は枝のしたヽるヽ事にあらず、海棠譜及円機活法にいへる垂糸海棠とは今の糸桜なり、行厨集にいへる諸桜のことたること分明なり、近世大徳寺の覚印問之唐僧、曰垂糸海棠は諸桜の通称なり、重葉の垂糸は八重桜の事なりと、唐僧の話なりといへり、是行厨集の説と合せり、敬義の桜の弁にも、誤て以桜桃、日本の桜とせり、不知桜即桜花而本より非佐久良、桜の名日本所私名而非漢土之桜也、