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北条五代記

三浦三崎宝蔵山旧跡の事 扠又三崎の前海城け島に、春は桜花咲みだれ、面白き磯山の気色たぐひなかりけり、是によく頼家公花の時分は三崎へ毎年著御、正治元年も出御し給ひぬ、実朝将軍三崎の桜花御見物有べしとて、建暦二年壬申三月九日、尼みだい所おともなはしめ、三崎へ入御し給ふ、建保三年三月、同五年九月、安貞三年二月廿一日、同四月十七日、詩歌管絃の御遊さらに尽しがたし、扠又寛喜元年己丑三月十七日辰刻、頼経将軍三崎の磯山御遊覧のため出御し給ふ、相州武州おはじめ御共する、かの前司御船おもよほし、海上にて管絃詠歌あり、佐原三郎左衛門尉遊女お相ともなひ、一葉にさほさし、さんかうする事、しかも興あらずと雲事なし、およそ山陰のけいすう、海山の眺望、比類有べからずとほめさせ給ひ、同十九日に還御也、同二年庚寅三月十九日、将軍家三崎磯山の花ざかり御遊覧のため、武州六浦の津より御舟にめされ、海上にて管絃あり、若宮の児童等お召れ、船中にて詩歌お詠じ、連歌おつらね給ふ、相州武州以下参らる、よつて領主駿河前司ことなる御まうけ、善尽し美つくさずと雲事なし、