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古今要覧稿
草木
右衛門桜(○○○○) 武蔵国豊島郡柏木村に立所なり、楊貴妃の変種とおもはるれども、茎の下にむかふお異なりとす、 右衛門桜之由来 抑このさくらは、長元年中えもんの佐源頼季朝臣、勲功の賞に此地お給らせ給ひ、こヽに御館おいとなみ住せ給ひし比、家門繁栄の兆お見せよと、御手づからひとへのさくらおうへさせられしに、その花八重おまじへて咲出けり、是よりして深く此樹おめでさせ給ひ、春ごとに花の宴遊おぞ催されける、其後百六十余歳おへて、江戸民部大輔頼介、当時再興のみぎりいかきおなし、一面の碑おたつ、弘安の兵火に焼れて霜樹たちまちかれぬと見へしが、年かへりてひこばへさらに花おふくみ、枝葉なおもとの如はんもす、亦天正のころ野火の為に、伽藍は一時の烏有となるお、祝融のおしむによりてか、此木はつヽがなりけり、享保のはじめに至て、四百余歳の旧樹おのづから雨露の恵お辞すといへども、又ひこばへ弘安の往古の如し、今に至て佐殿の俤おとヾめ、源家に南山の寿お献ず、寛永年中春日の御局、尾州千代姫君様、当山御再営の時、此花奉りしより、いまなお両御殿へさヽぐるの外、一枝おだにおる事おゆるさず、佐殿と申は、河内守源頼信公の御子、八幡太郎義家公には御伯父君なると也、 文化十一甲戌年三月 円照寺現住隆晃代