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西遊記

十六日桜(○○○○)伊予国松山の城下の北に、山越といふ所あり、此処に十六日桜とて、毎年正月十六日には、此さくら満開して見事なり、松山より花見とて貴賤群集す、寒気面おそぎ、余雪梢お封ずる頃に、此さくらのみ色香めでたく咲出れば、遠近の人ともにもてはやして、殊に其名高し、過し年先太守より和歌の御師範京都の冷泉家へ、此花お贈り給ひし事あり、其時冷泉殿より御返事の御和歌あり、 十六日ざくらといふ花お、頃しも睦月半のたよりに折こせしお、末の四日に都に来りつきて、色もうるはしく、驚くばかりの初花桜の花になん、賞玩の辞、 きえのこる、雪かと見れば、年々の、む月半に、さくといふ、初花桜、はつ春の、柳の木のめ、それもまだ、色別そむる、ころにはや、若葉催し、ほころぶお、散さぬ風の、たよりもて、心有人の、見せばやと、折こせはこそ、けふ見そめつれ、 返歌初春の初花桜めづらしき都の梅のさかりにぞ見る 猶此外に、都鄙の詩人歌人俳人など、見る人ごとに吟詠して賞玩す、予が彼国に遊びしは四月の頃なりしかば、花の時におくれて見ざりき、残り多き事なり、彼国の人に此桜の由来お聞くに、むかし山越の里に老人有けるが、年殊に老て其上重き病にふし、頼みすくなくなりけるに、隻此谷の桜に先立て、花おも見ずして死になん事のみおなげきて、今一たび花お見て死しなば、浮世に思ひのこす事もあらじなと、せちに聞へければ、其子かなしみなげきて、此桜の本に行て、何とぞ我父の死し給はざる前に、花お咲せ給はれと、誠の心おつくして天地にいのり願ひけるに、其孝心鬼神もかんじ給ひけん、一夜の間に花咲乱れ、あたかも三月の頃の如くなりけり、此祈りける日、正月十六日なりければ、其後は今の世にいたるまでも、猶正月十六日に咲けるなりとぞ、其由来も正しかりぬ、又伊勢国白子といふに、子安の観音とて名高き寺あり、其寺内に不断桜(○○○)とて常に花咲ける桜あり、是は都近ければ古今ともに其名高く、歌人俳人もつとも吟詠多し、隻三月は殊に花多く、其余は花すくなし、冬などは才に尋求めて見付る程なり、然れども常に其はなたへせずして咲る事、世にたぐいなき名木なり、又薩州には崎島とて冬の内より咲る桜あり、予が遊びし年は殊に暖なりしゆえにや、寒中に桜多く咲たれば珍敷て、所の人にたずねけるに、崎島桜(○○○)とていつもかくのごとしといふ、正月はじめには真盛なり、彼国は人家に多くうへてめづらしからず、崎島とは琉球の領分にて、琉球より南の方二三百里へだたれるよし、誠に南国なればかくもあるべし、此さくらも都近くへ移しうへば、必かく早くは開まじ、