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江戸名所図会
十一
金井橋 多磨川の上水堀両岸の芝塘にあり、金井村に架す、故に名とす、〈水源小川村より新橋の東北千川上水の掛口の所まで凡一里あまり、両岸こと〴〵く桜にして、左右の両岸九村に跨る、また架す所の橋大小七け所ありて、何れも其地名によりて唱ふ、いはゆる金井橋の類なり、此水流西の方羽村より北に播れて江戸に至るまで、直流凡十里あり、是お玉川上水と号す、承応の頃始て此水流お大江戸に引給ふといへり、〉此地の桜は、享保年間〈或雲元文二年丁巳〉郡官川崎某、台命お奉じ、和州吉野山および常州桜川等の地より桜の苗お殖らるヽ所にして、其数凡一万余株ありしとぞ、〈今存する所の古木一囲にあまるものまヽあり、延享の頃までは、年々に官府よりこれお殖つがせ給ひしとなり、今は其数大に減て凡三百株あまりあり、〉立春より五十四五日目の頃開初て、六十日目お満開の期とす、七十日目の頃に至りては落花す、最其年の寒暖によりて少しの遅速はありといへども、大方は違はず、就中金井橋の辺は佳境にして、煉漫たる盛には両岸の桜、玉川の流れお夾んで、一目千里実に前後尽る際おしらず、こヽに遊べばさながら白雲の中にあるが如く、蓬壺の仙台に至るかとあやしまる、最奇観たる故に、近年都下の騒人韻士遠お厭はずしてこヽに来り遊賞す、