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和字正濫要略

むとうと通ずる類梅 うめ 和名に、万葉第五に家持の父大納言旅人卿太宰帥なりし時、家に三十二人集会して、梅の歌およみ、追加の歌もあるに、三十首は烏梅とかけり、是やがて梅の呉音お転じて仮名に用たり、此時は隻音にて、字に付て梅の義有に非ず、やなぎお楊奈疑と書るに同じ、其外は字米、汚米、宇梅、有米、于梅などかけり、牟梅とかける歌一首あれども、異本には宇梅とあれば、他に例するに然るべし、第八第十第十七より廿迄にもおほけれど、余りなれば出さず、古今集物名に、うめお題にて、あなうめにつねなるべくも見えぬかなこひしかるべき香はにほひつヽ、順家集にも、西四条宮源中納言のもとにて、うもじお給はりてとて、梅津川このくれよりぞながれてのうれしきせヾは見えむみなそこ、かやうにむかしは皆うめとのみ書けるお、中頃より音便の無に近ければにやあらん、むめとのみ書て、今の世はうめとかく人なし、然ども昔おしたふ人は、かよはして書べき也、