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重修本草綱目啓蒙
二十一五果
梅 むめ〈万葉集〉 うめ〈和名抄〉 このはな〈以下古歌の名〉 はな にほひぐさ かぜまちぐさ かざみぐさ かばへぐさ みどりのはな かとりぐさ はつなぐさ つけぐさ いひなしのはな 花一名百花魁〈故事白眉〉 花魁〈典籍便覧〉 世外佳人 鶴膝枝 清友 清客〈共同上〉 官長〈事物異名〉 羅浮仙子〈同上〉 羅浮仙〈名物法言〉 索笑客〈花鳥争奇〉 東閣〈尺牘双魚〉 氷楠〈花暦百詠〉 梅伯華〈事物紺珠〉 氷姿 玉骨 大庾公 自知春 香雪〈共同上〉 氷肌〈留青新集〉 実一名雪華〈行厨集〉 含酸〈同上〉 楠果〈典籍便覧〉 梅楠〈通雅〉 蝋果〈事物紺珠〉 含酸子〈同上〉 嘉実〈書言故事〉 止渇〈同上〉 乾〓〈名物法言〉 古へ単にはなと雲は梅花なり、後世は桜花おはなと雲と、八雲御抄に見へたり、唐山にては牡丹お単に花と雲、梅に品類多し、文長先生の梅品六十種お載す、後世新花年ごとに出て、今は三百余品に至る、梅譜は百川学海にあり、こヽに引くところは其略なり、梅は正月に花お開くお常とす、冬月花お開くものは早ざきなり、漢名早梅〈梅譜〉八朔梅(○○○)、冬至梅(○○○)も、皆早梅にして多は紅色なり、単葉の白梅もあり、又実の早く熟するも早梅と雲群芳譜に出づ〈◯中略〉凡そ単弁の梅は五出なり、又六弁なるもあり、これに紅白二種あり、紅なるお花戸にて退場(のきば)の梅と雲、形小にして尖り、弁ごとに離れて連ならず、故に名く、又円弁なるものあり、之お西行むめ(○○○○)と雲、皆六弁梅なり、孝豊県志に出、又軒端(のきば)のむめあり、今京都誓願寺和泉式新墓上にあるは小川むめ(○○○○)にして、真木は相国寺中林光院、及誓願寺方丈庭中にあり、千葉にして小く、心凹にして外弁紅く、内は白く紅点あり、江梅(○○)はのむめ(○○○)原野に自ら生ずる単葉のむめなり、白色にして香気あり、花に大小あり、女南甫史に野梅と雲、梅譜に直脚梅と雲、又詩の題及句中に江梅と雲は江辺の梅お雲、花史左編に出づ、消梅(○○)はこむめ(○○○)、しなのむめ(○○○○○)、樹葉は尋常の梅に異ならず、花は単にして白く、下に向ふて開く、実の形正円にして小く、金柑の如し、二三十一枝に簇り垂る、梅雨中に早く熟す、〓お併て食ふ、緑蕚梅(○○○)はあおじく(○○○○)、花戸には誤りて玉蕚梅と呼ぶ、その花蕚緑色嫩枝も緑色、尋常の梅の蕚枝共に赤色なるに異なり、花の色は白くして単梅千葉あり、一名平楽香、〈事物紺珠〉重葉梅(○○○)は、ざろんむめ(○○○○○)、実ざろん(○○○○)、花ざろん(○○○○)、の二種あり、重葉梅は実ざろんなり、一花の蒂中より三四実お生ずるお雲、一名品字梅、〈泉南雑志〉三品梅、〈薬甫同春〉大抵三実の者多し、俗にすヾなり(○○○○)と呼ぶ、又一種やつむめ(○○○○)、一名やつぶさむめ(○○○○○○)と雲あり、越後八梅と雲地、親鸞上人の墓所の傍にあり、越後七不思議の一つなり、一蒂の内八実お結ぶ、長ずるに及て落る者多く、熟する者隻二三実なり、其未熟の時観つべき者なり、京師本願寺にも此樹あり、花は単弁白色なり、紅梅(○○)は通名なり、蕾の時も開きたる時も同く紅色なるお雲、今世に紅梅と雲は、蕾の時赤くして開けば変じて色浅し、是未開紅(○○○)〈俗名〉なり、花家にては誓願寺むめ(○○○○○)と雲、紅梅の品類数多し、杏梅(○○)はあんずむめ(○○○○○)、一名もちむめ(○○○○)、単葉にして色浅く杏花に似たり、凡そ梅は味酸き者なれども、此梅は酸味なく杏に似たり、故に名く、又杏の味酸者お梅杏と雲、鴛鴦梅(○○○)ははなざろん(○○○○○)、花一所に簇り開く者お雲、苦練接梅雲雲とは黒梅(○○)のことなり、花に黒みあるお雲、女南甫史に、或雲、接苦練樹上則成墨梅、然詢之老甫、独宜紅梅、余倶不然と雲、烏梅(○○)はふすべむめ(○○○○○)、熏して乾すなり、市に煤お塗たる者あり宜しからず、一名巣烟九助〈薬譜〉白梅はむめぼし、紫蘇の葉或は牽牛花(あさがほ)お入、色お赤くすることあり、是お紅梅〈北戸録〉と雲、梅子にて製する食品多し、女南甫史に詳なり、〈◯中略〉 増、六弁白花の者お水仙梅(○○○)、又六弁梅とも雲、花の形猶大にして、其香勝れたり、花六弁なるお以て水仙梅と名く、又其香気水仙に似たりとし、或は初白色にして後淡紅お帯ぶ、故に酔仙梅と名くとも雲、誤なり、桃洞遺筆に広東新語お引て、五行配当の説に由て、水先梅と書も鑒説なり、又阿州板野郡徳命村千光寺の梅は、天下第一の名木なり、故に此寺お梅の坊と雲、其枝地に著て根お下し横行す、広さ二間許り、長さ十五間許り、上に細条お束子、架お結て堤の如し、花お綴ること甚多く猶観美なり、白花千弁、其香気殊に勝れたり、俗に八重梅と呼ぶ、実も亦大なり、此樹数百年の古木なり、即範成大が臥譜に、古梅会稽特多、去城二十里有臥梅、相伝唐時物也、謂梅竜偃蹇十余丈と雲是なり、大和本草に、臥梅(○○)は別種に非ずと雲は誤なり、邦俗白花にして香気勝れたるお好文木(○○○)と称す、唐山にては唯梅お好文木と称す、晋の起居注に見へたり、曰晋武好、文則梅開、廃学則梅不開、故梅雲好文木也、又墨梅と呼ものあり、花戸に誤て黒梅と雲、花深紫色にして微紅お帯ぶ、八重の大輪なり、蕚黒色お帯ぶ、満開せずして落易し、又王敬美梅疏雲、鶴、頂梅種園中取果、不足登几案也、熟而可食、曰鶴頂梅、時梅鶴頂最佳、以其紅大如鶴頂、これ興花府志に実大者為鵝梅と即同物なり、和産は豊後肥後より出づ、故に豊後梅(○○○)又肥後梅(○○○)とも名く、甚大にして二寸余に及ぶ、然れども実お結ぶこと甚だ希にして熟せず、落易し、又一種ときはばい(○○○○○)と雲あり、枝赤褐色にして軟なり、故に花戸にてしだれ梅に作る、葉粗くして深き鋸歯ありて、榔楡の葉の如し、花は紅梅と同じ、香気も紅梅に異ならず、八重にして淡紅色、又単葉の者あり、これ楡葉梅(○○○)なり、畿輔通志雲、楡葉梅、葉似楡、花開如紅梅、故名、嫩枝頗柔、可以編籬と是なり、百品考に見へたり、