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広益国産考

梅お植て農家之益とする事 諸国に梅お植置、詠(ながめ)とするは、実おとるにあらず、梅の艶しきお賞玩するのみなり、又実お賞し梅干とするは、珍花お撰ばず、実大粒にして肉厚く、〓ちひさきお植る事也、いつの頃よりか、大坂近辺に治左衛門と雲梅は、花薄紅の八重にして艶はしく、紅梅の八幡といへるもの、開口に同じくいと見事也、大坂に便宜よき所は、註文して取寄植給ふべし、池田部の部といへるは、植木お作りて諸国にひさぐお業とする一村也、扠此梅は梅干として出さヾれば益にはなるべからず、浪花にては是お何千石といへる程、干して小き樽に詰、江戸へ送る事火し、近頃遠州相良にて大坂の通に小樽詰にして送るに、一廉益お得るよし、扠此梅干に製し様あり、梅の熟し過たるは園(つぶ)れて費となれば、少し赤味さして堅き時とりて、酒の古樽に梅壱斗に塩三升のわりに漬、おもしおしつかり置、六月土用中におもしおとり、水おしたみ干べし、干様は、ほし場に砂ぼこりの来らざる平面の小石なき所にうすき藁筵お敷、夫に入、一ならびに重ならぬやうして干べし、此干筵厚きは梅に色付ず、薄筵は地気お通ず故歟、色ほんのりと赤みさして艶よし、能天気ならば二日程にて宜しけれども、日勢ぬるきの時は三四日も干べし、扠其干揚たるお、すぐに樽に詰、四方に細縄おかけ、諸方へ送るべし、 又小田原名物の紫蘇巻梅は、右の如く青漬にしたるお、紫蘇にて巻也、扠紫蘇の仕立やうは、丸葉の両面お蒔育べし、縮面は悪し、七月盆後頃、能成長したるしそおこきあげ、葉おむしりて重ね、塩押にして、十日計置、葉の和らかなる頃、右青塩漬の梅の水おしたみ捨、紫蘇の葉一枚づヽお巻て、先ぐりに、壺か、桶に詰べし、然して一け月程置ば、青漬の梅十分紫蘇汁に漬たる如く見事に染る也、小田原漬は決して紫蘇汁につくる事なし、是名物也、 援に江戸本庄亀井戸に梅屋敷とて有、此所の梅は地おはひて竜の形ちあれば、臥竜梅とて一種の名木也、寛政文化の頃東都に誹諧お楽む一老人あり、隅田川の辺りに地面お求め草庵おむすび、其四方に梅の木の一二尺廻りにもあまれるお、三百六十本調へ植置けるに、新梅屋敷と称し、春は男女群集せり、其老人〈予◯大蔵永常〉に語りて曰、吾風流に梅お植しにあらず、壱本の木に梅の生る事銀四匁ならしにはあるべし、吾が一日の暮し方銀四匁にて足り、さるに依て一年の日数に植たりとなん、梅も能作れば壱本にて銭弐貫文位取上るもの也、依て梅お植、右記す如く梅干として都会に出しひさぐべし、又我住る屋敷内に無用の樹お植んより、五六本づヽにても植置なば、五六人暮しの塩代は取もの也、