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笈雉随筆

難波梅(○○○) 難波の梅といふも、一木とす梅からず、岸の姫松磯訓松などいふが如し、百済王仁、梅によそへて、仁徳帝お諷諫し奉りし和歌より名誉たり、さるに弘安礼節に曰、難波の別当、源判官殿へ花の制札申請るに、弁慶に仰付らる、其札に、江南梅花折一枝者可処厳科者也と認ければ、義経御覧じ、花お折もの心なくては折らじ、余りに強き文言なりとて、江南梅花折一枝可切一指也と直されしと雲々、此制札今は須磨寺に有て、若木の桜の制札とす、心得ず也、 此花江南所無也、於一枝折盗之輩は、任天永紅葉之例伐一枝者可剪一指者也、 寿永二年二月