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白石雑考
五木瓜考
木瓜 多識編〈林道春撰しと雲〉木瓜和名毛介、又雲保計、異名楙、 貝原篤信〈筑前の人〉曰、木瓜からぼけ、一名楙、 稲若水〈加賀の人〉曰、木瓜今雲からぼけ、 俊水朱旅璵〈大明の人、本朝に来れり、水戸西山公の師なり、〉曰、木瓜もるめろ有大小不同、又有長而頭尖者、 右本朝諸家の説おあはせる考るに、源順朝臣の説は、即異朝の木瓜の注に同じければ、本朝の昔は真( /まことの)木瓜お以てもけと雲しなるべし、されど今の俗樝子(さし)と雲物およびて、ぼけと雲ふ、若し此ならはし、昔よりの事ならんには、順朝臣の雲し所も、樝子おもて、もけと雲しも知れず、又今俗に木瓜お以てからぼけと雲ことは、世人樝子おもて、ぼけといへば、それにわかつべき為に、かくはいへるなるべし、〈もけと雲は、すなはち木瓜の二字、呉音お以てよびし也、その後俗にぼけと雲しも、木の字お漢音によびかへて、瓜の字おば、ありしまヽに呉音お用ひしもの也、それお又医家にもつくうと雲は、二字又呉漢の音お交へよびし也、もつくわの倭名お、もけともぼけとも雲とのみ心えんはよからじ、〉されど今からぼけと雲物は、異朝に所謂木瓜の大なる物にてある也、本草衍義に、大木瓜と雲はこれなるべし、近き比ほひ大明の人朱旅璵に木瓜の事お問しに、今俗にまるめろといふものお指て木瓜也とは雲き、〈まるめろと雲は番語にてある也、此もの昔より我国にありしお、番人の見ておのがくににてよぶところおもてかく呼しにや、又番人のもて来しより、此国にはあるものにや、未だつまびらかならず、〉此人格物の君子にて、大明の代の末の乱お避て、番国にのがれ、其後我朝に来りとヾまれり、されば独異朝の事に委きのみにあらず、番国の事おもよく知れる人也、其説あやまるべからず、且は今異朝の諸書お考ふるに、まるめろと雲ものは、彼国の書に見えし、木瓜の注に違ふ所なし、さらば我朝の諸儒まるめろの外に、からぼけと雲ものおもて、真木瓜とのみ思へるはあやまれるなるべし、