[p.0396]
倭訓栞
前編十四多
たちばな 橘お訓ぜり、今禁庭南殿の橘、八幡にて橘のもろ木とよめるも現在せり、衆樹は遍照僧正の孫也、石清水の坂にて祠前の橘ほとんど枯んとするお見て、 千早ぶる神のみまへのたちばなももろ木も共においにける哉、其後橘も再び栄え、衆樹も屡ば遷りて、参議までに至ると大鏡に見ゆ、春盤に用る物是也、田道間等が絶域より採来りたる事、日本紀に見えたり、よて田道花といふにや、其裔橘守お氏とせり、此種初て本邦に来るおもて、名お擅にせるにや、橘類にては最下品也、此種は綿橘といへるもの也といへり、