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古事記伝
二十五
橘は和名抄に、橘和名太知波奈(たちばな)とあり、此名は将来つる人の名に因て多遅麻花(たぢまばな)と雲なるべし、〈但し此物は、花よりも実お主とすれば、花お以て名けむことはいかヾとも雲べけれど、名のさまお思ふに、なほ婆那(はな)は、花とこそ聞ゆれ、花橘とも雲是も花お賞て雲〉〈る名なり、実のことおよめる歌にも、花橘とよめり、万葉六には橘花とさへ書り、〉さるは此持来たる実お種として蒔しが生出て、初て花の咲たる時に、多遅麻花(たぢまばな)と呼初しが、遂に名とはなれるならむ、〈師説(賀茂真淵)には将来たる人の名お以て、田道間名(たぢまな)と後に呼しなり、されば古は知お濁りてぞ唱へけむ、今も上総人南部人などは知お濁て雲なり、又婆と麻と清濁通ふは常なりとあり、此説持来し人の名に因れるは然ることなれども、終の那お名とせられたるはいかヾ、其は此名お釈く言にこそさもいはめ、直に名と雲ことお、名に負すべきには非ず、彼任那国と雲例などヽは一に雲がたし、又古は知お濁て唱へけむとあるもあたらず、此記又万葉などに仮字に書る、みな清音の知お用ひて、濁音の字お用ひたることなし、今の上総人などの濁るは、東の訛にこそあれ、多遅麻毛理の名に因らば、まことに知は濁るべきことなれども、次なる婆お濁る故に、濁の重なるは聞苦しければ、おのづから知おば清音に唱へ来しなるべし、〉明宮段大御歌に、迦具波斯波那多知婆那(かぐはしきはなたちばな)とよませ賜へり、古は花おも実もお、殊に賞し物にて、万葉巻々に歌ども甚多き中に、六〈三十三丁〉に橘花者(たちばなは)、実左倍花左倍(みさへはなさへ)、其葉左倍(そのはさへ)、枝爾霜雖降(えにしもふれど)、益常葉之樹(いやとこばのき)、十八〈十二丁〉に、等許余物能(とこよもの)、己能多知婆奈能(このたちばなの)、伊夜氐里爾(いやてりに)、和期大皇波(わごおほきみは)、伊麻毛見流其登(いまもみるごと)、〈とこよものとは、常世国より来つる物と雲なり、〉又〈二十七丁〉可気麻久母(かけまくも)、安夜爾加之古思(あやにかしこし)、皇神祖能(すめろぎの)、可見能大御世爾(かみのおほみよに)、田道間守(たぢまもり)、常世爾和多利(とこよにわたり)、夜保許毛知(やほこもち)、麻為泥許之登吉(ま〓てこしとき)、時自久能(ときしくの)、香久乃菓子乎(かくのこのみお)、可之古久母(かしこくも)、能許之多麻弊礼(のこしたまへれ)、国毛勢爾(くにもせに)、於非多知左加延(おひたちさかえ)、〈◯中略〉神乃御代欲理(かみのみよより)、与呂之奈倍(よろしなへ)、此橘乎(このたちばなお)、等伎自久能(ときじくの)、可久能木実等(かくのこのみと)、名附家良之母(なつけけらしも)、〈橘の事、おほかた此歌に備れり、〉古今集に、五月まつ花橘の香おかげば昔の人の袖の香ぞする、〈此昔の人お、多遅麻毛理のことヽする註は非なり、〉続紀十二、〈和銅元年、県犬養宿禰三千代に橘姓お賜ふ勅、〉橘者菓子之長上人所好、柯陵霜雪而繁茂、葉経寒暑而不彫、与珠玉共競光、交金銀以踰美雲々とあり、〈与珠玉の上に実字脱たるか〉武蔵国に橘樹(たちばなの)郡ありて、橘樹郷〈多知波奈〉御宅(みやけの)郷〈美也介〉と並在り、由縁あることなるべし、又姓氏録に橘守(たちばなもり)と雲姓ありて、三宅連同祖とあるは、公の橘樹お守る者お掌れる氏なるべし、此も初の由縁お以て、多遅麻毛理の子孫に任し給へるなり、〈師説に、此氏おもたぢまもりと訓べしと雲れつるはかなはず、此は彼人の名に関かることには非ず、たヾ橘お守りし由にこそあれ、若此氏と彼人の名とお一にしていはヾ、彼人の名は橘お守し由なりとこそ雲べけれ、然れども彼名は但馬国に由れることにて、橘に因れるにはあらぬおや、〉万葉十〈五十一丁〉に、橘乎守部乃五十戸之(もりべのさとの)とよめるも、古此樹お殊に守し事の有しから、守部里の枕詞とせるなり、〈又思ふに、こはたヾ守と雲名に、雲かけたるのみにはあらで、此里即古に橘お守る者の住る故に、守部と〓るにもあるべし、其はいづれにまれ、冠辞考の説は、いさヽか違〉〈へることあるなり、〉さて或説に、昔の橘は今の蜜柑なり、今世に別に橘とてある物には非ずと雲、又或説には、昔の橘即今も橘と雲物なり、蜜柑は後に渡来つる物なるお、味の勝れる故に、世に多く弘まり、橘は劣れる故にけおされて、おのづから罕になれるなりと雲り、此二ついづれよけむ定めがたし、〈今思ふに、今世に橘と雲物は罕にありて、其実柑子よりなほ小くて、味も蜜柑とは遥に劣れり、然るに古橘はさばかり賞て、世に多かりし物なれば、是にはあらで蜜柑こそ其なるべけれ、薬の橘皮にも、昔より蜜柑の皮お用るなり、今橘と雲物の別にあるは、昔の橘おば、いつのほどよりか蜜柑とのみ雲から、後に別なる一種お橘と名けたるならむ、其今橘と雲物は、延喜式伊勢物語などに、小柑子と雲る物是なるべしと思はる、然れば始の説宜しかるべきか、又思ふには若昔の橘今の蜜柑のことならば、昔のまヽに今までも多知婆那とこそ雲来るべきことなれ、蜜柑と雲名に変るべき由なし、然れば蜜柑は後に渡来つる物なるが、其始て渡りたる時に、味の美きまヽに蜜柑とは呼初しならむかとも思はるれば、後の説も理ありて聞ゆ又思ふに、美加牟と雲名は、和名抄に〓椵柚属也、漢語抄雲、柚柑とある、此柚柑お訛りて雲るお、後に蜜柑とは書なせるかともおぼゆ、凡て橘柑柚の三は、漢国にてもまがひ、又其種類もいと多ければ、漢名に依ても決めがたく、又古今の異もいとまぎらはしきなり、又或説には、昔の橘は今雲柑子なり、今雲蜜柑は昔の柑子なりと雲り、然れども柑子は、今も柑子と雲物とこそ聞えたれ、〉