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閑田耕筆

戴叔倫が盧橘花開楓葉衰といふ詩の三体詩に見えたる註に、広州記書雲、盧橘皮厚気色大如柑酢夏熟土人呼為壺橘、又増註、盧橘即枇杷也とあり、又正字通橘条お見るに、曰或雲、金橘盧橘也、蘇軾誤以盧橘為枇杷、陶九成始疑之、以広州之壺橘為盧橘とあり、白香山の律詩に、盧橘寛低山雨重、椶櫚葉戦水風凉、とある対句おもてみれば、是も夏熟するものとす、然るに和歌者流にて、盧橘の題は唯橘およむこと流例にて、花お主とし、右の義には愜はず、たヾし其中堀河院初度百首、神祇伯顕仲卿の歌に、吾園の花橘の花みれば金の鈴おならす也けり、といへるは、夏熟の説にあへり、又永徳百首に、此ころは実さへ花さへ同じえに並べて見つる軒の橘、といふは、珍らしきよみやうとはいへど、世の常の橘柚花落る時やがて少き実生れば不審なきにやと、或人はいはれき、