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近江国与地志
九十九土産
油桐(あぶらぎり) あぶらみといふ是なり、当国処々これあれども、殊に海津の出す処甚多し、油おしぼるに、其功荏の油におとらず、志賀郡松本村の山に、多油桐お種て油おとる、是お荏桐とも、罌子桐とも雲者なり、たまお刻するものは非なるべし、其形状桐に似て、其実大毒なり、本草に、鼠の咬たる処に此油おぬればよしといへり、亦此油にからし油三分一合せ、なし入、灯油にして光よく、ながくとぼるものなりといへり、亦雨衣にぬりて無類なり、今桐油がつはといへば、荏の油にてつくれども、元此油にて製する者ゆへ、桐油の名あり、亦是お漆に加へ、黒物お塗船おぬる、西土の人船にちやんおかくると雲は此物なるべし、西国にてあぶらせんと呼、所により油木とも雲、亦虎子桐ともいへり、貝原氏、波羅得と雲木お近江にうえて、民用おたすく、白木とも雲ものなりと、日本本草にしるされたれど、近江に専らうえて、民用お助くるものは油桐なり、平住民が唐土訓蒙図彙に曰、波羅得お白木といふ、江州にうゆるとする説は非なり、今江州にあるものは、即罌子桐なり、波羅木お本草に考ふるに、白木にあらずと雲、