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重修本草綱目啓蒙
二十四喬木
巴豆 一名草兵〈輟耕録〉 江子〈寿世保元〉 和産なし、近年薩州に来る、葉の形しらきの葉に似て短し、実は舶来多して偽者なし、外殻白蔲殻に似て微長、内に二三子あり、子は豆の形に似て長し、薬には皮お去り仁お用ゆ、仁中に芽あり、これお心と雲、集解に去心皮と雲心は、人お吐する故なり、この仁お研りつぶし紙に挟み、圧して油お去るお巴豆霜と雲、略して巴霜とも雲、瓜〓仁霜杏仁霜の例なり、本邦にては黒焼のことお霜と雲に因り、巴霜に巴豆の黒焼お用ゆるは誤なり、 増、薩州曾土考纂疏雲、寛政二庚戌歳、中山歳貢船致巴豆於薩摩雲、是福建連江県之種、乃移植大隅佐多邑、其枝葉類臭梧桐、夏抽穂開小黄花秋結実、中山呉継志質問本草附録雲、巴豆樹高一二丈葉形似烟草而小、長三四寸闊二寸許、有縦理不甚厚、四月梢頭出穂開細花淡黄色、六月結実作房、生青、熟黄、老則房自分、折中貯三四子状若海松子、而色黄、殻薄下之易生、新者最峻下入薬宜択陳者、 天保十年の比、京師の物産会にて高さ二尺許のものお目擊す、今摂州池田の種樹家にもあり、