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壒囊抄

錦木(にしきヽ)とは何ぞ 昔より様々に雲たる事なれば、一定難知けれ共、常に宜しとする説二つ侍り、一は陸奥夷(みちのくのえびす)共は女お迎へんとて、文お遣事は無て、一尺許なる木お採て、其の女の家門に立るに、合んと思ふ男の立る木お軈て取入也、不合思者の立る木おば不取入、強て立副程に、千束お限として真志ありとて、其時取入て契と雲り、或は千束に成ても不取入ば思絶ぬ共雲り、千束に成れば必ず可合様に聞る歌侍れば千束が限歟、 錦木は千束に成ぬ今こそは人にしられぬ子やの中見め 錦木の数は千束に成ぬらんいつかみたちの内は見るべき 是は和語抄に侍り、前の歌と同じ体也、又匡房卿歌に、 思か子今日立初る錦木の千束もまたきあふ由もがな 又千束に過ても猶立る由ある歌、藤原永実、 いたづらに千束朽ぬる錦木おなおこりずまに思立哉 亦一は錦木とは灰の木也、其木お灰に焼て灰にさせば、万の物色能成也、仍て灰の木お錦木と雲と雲雲、物の色に合して祝て、此木お一尺許に切て、思女の門に立る也、故に錦木お立ると雲也、其趣如前、亦一枚立木お、争かつかとは雲んと雲義侍共、束鮒と雲は一拳あるお雲と申せば、数の木お結合せず共、一拳あらん枚木おも、一束と可雲と見たり、俊頼の無名抄にも始の説の如書て、狛鉾(ほこ)の竿様に、斑に採て立れば錦木と雲と侍て、奥に至て実にはさもせぬとかや、錦木と雲に付て申せるにやと書して侍り、奥義抄に灰の木にて錦糸お染れば雲爾と侍り、