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今古残葉
二十六
高雄山に紅葉お見る記 高松重季卿 享保乙卯のとし神無月はじめつかた、高雄山の紅葉この比さかりときヽてまかりにし、とし比も思ひし事なれど、ことしげきにまぎれて、うち過侍れば、まだ分もみぬ山水の音にのみきヽてやみなんもくちおしく、ことしばかりはと思ひ立て入もて行まヽに、山深き所なれど、世に名高ければ、聞つきてつどひけるにや、おもひしよりは人めしげく、おのがどちこヽかしこ、この木下岩がくれおしめて春の風ならねど、樽の前に酔おすヽめ、打えみつヽ、心とけてめでくらすもおほかりけり、とある寺の門前にはし打渡し、岩にくだくる波の木のまゆく山川のあたり、みな楓のみなれば、見渡すかぎりそめつくして、陰けむ袖も下行水も、色はづるばかりなれば、 名もしるき、千入の梢ことしまでこざりし色おおしむ比哉、かの寺お地蔵院といふ、此方丈の庭よりこそ猶奥深き谷の紅葉も見え侍れなど、しれる人のいひければ、さらばそれこそはとたづねよりてみ侍るに、山かさなれる谷の底に、岩波しろきながれおとめて、生つヾきたる紅葉お見おろしたるは、絵にもやはと思ひ侍り、しるべにつきてくる人もあれど、寺院の庭なればこヽにやすらふ袖もなくて、人まおほくすこししづかなる木の本なれば、さヽへなど取ちらして、帰る方もしらずめであへり、 そめてかくおのづからにも山水の名にながれたる谷の埋木〈◯一首略〉栂の尾のもみぢ(○○○○○○○)も、世にこそしらね、よの所にはまさり侍り、ほど近ければ此ついでにもやと、人々いひけるにそヽのかされて、ひつじはるかに過ぬれば、出行に分こし程に見たりし橋のもとの紅葉の、日影に映ぜる夕ばへのけしき、さらぬだにある木ずえに又一しほの色おそへて、見すてがたき木のもとになん、つたなきことなればかきおかんも面ぶせなれど、かたくまどの外に出すべきにもあらず、かくやうのこともありと、としへて後おもひ出んためばかりなれば、おちちらん時のあざけりはおもひながらに、入興のあまりにかきつけ侍る、 さればこそ山の名てらす紅葉哉〈◯中略〉 山道の名残いとさむきにとて、北野の森にしばしやすらひて、いぬの時ばかりにやどりにかへりぬ、這一帖漫書連愚毫述幽情、誠供一粲而已 藤重季