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古今要覧稿
草木
唐楓 唐楓〈地綿抄〉又からもみぢ(○○○○○)〈花〓〉と称するもの、今染井の花戸伊兵衛が園中に存せり、甚大樹にしてその高さ七八丈に及べり、享保十二丁未九月二十二日拝領唐楓といふ札お建たり、其来由お問ふに、御用にて唐土より持渡りしお、厳命にて其比の伊兵衛深山かへでに五本接しが、残らず成木して御庭にうつし植させ給ひて、唐土より渡りしもと木お給はりしといへり、〈伊兵衛家説〉その葉三尖にして幅せまく、長みありて対生す、実お結ぶ事鶏冠木の実に似て股せまく、鶏冠木の実より少し大にして、数多く付てたれさがれり、地錦抄に秋の紅葉本色あざやかに洗朱のごとく、又は薄紅黄色さま〴〵まじりて、染るといへども、あまりに大木となりし故か、多くは黄色に染てちれり、唐かへて今処々に多くあれども、皆この孫木なるべし、しかれどもその形状伊兵衛が園中のものとは少し異れり、葉に長みなく鋸歯深く、葉茎短くして枝梢に紅色お帯、鶏冠木に妨仏たり、猶地錦抄に載るところの図は、葉茎短く葉にはヾあり、若木の時はしかるものならん、実生などの小木は、僅に五分に満ざる葉も生じ、又若木のいきほひよき枝には、三寸にあまる葉あり、大葉と小葉のものは、同木とは見えざるものなり、小樹は殊によくそむ、地錦抄にいふごとく、色色に染なして美観なるものなり、佐藤成裕曰、唐かへでは、本邦にも自生のものあり、丹波辺の山中には大木ありといへり、又大和本草に小かへでといふものあり、其葉形唐かへでに似たり、是和産の者おいふなるべし、又西遊記続篇に、霧島山の奥に入し時、種々の奇樹異草数々見し中に、唐楓に甚よく似たるものお見し事おいへり、花彙にはこの唐かへでお以、真の楓樹とせしは非なり、唐かへでは、物理小識雲、箕峯有楓、開両岐紅花、其葉茎亦紅といへるもの、即唐かへでなるべし、楓といへば、其葉三尖なる事は知べし、実の毬おなさヾるおもつてかくいひしならん、実お花といひしは誤なり、