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西遊記
〓編五
楓樹 唐土の楓の事は、過し年唐土へ仰遣されて三本渡れりとぞ、其中一本は枯て、今日本に唯弐本のみ有りとなり、余〈◯橘南谿〉も其樹の葉とて見し事のありけるが、大さ拳の如く、三つ叉にて殊に厚し、実は楓球(ふうきう)とて栗のいがに似たり、秋ふかくなれば其葉黄色に変ぜり、日本の紅葉とは大に異なり、日本のごとく艶美なるものにはあらず、又頃日我友関谷氏、長崎の御薬園の楓樹の種なりとて、二本需得携へ登りて、余が家園に植しに、葉の形は三つまたにて、初のものに似たれど、其木の小き故にや、葉薄くして小さく、唯三つ股といふばかりなり、此国の紅葉に甚だ相似たり、其実おとへば、此国のごとく蜻蜒の小なるがごとしといふ、されば球にはあらず、たヾ此国の紅葉と同類異種といふべし、されど関谷氏が携へ登りしも、唐土より将来の木に違ふ事は非ず、是お以て考れば、日本の紅葉にも異種数百種あるがごとく、彼国にてもいろ〳〵の楓あるべし、別に召れしは唐土にての最上の品なるべし、然れども唯詠めに興ずるには、日本の楓遥に勝れり、我国のおこそ愛すべし、又或説に日本には楓なし、されば日本にては唯紅葉、或は機樹鶏冠木(けいくわんぼく)などヽ称すべし、楓とは称すべからずといへるも僻説なり、日本にいふ処のものは、楓の外なるものにはあらず、唯楓の同類異種なれば、紅葉お楓と称して当らずとはいふべからず、又余が霧島山の奥に入し時、種々の奇樹異草数々見し中に、彼楓に甚だよく似たるもの有りき、余元来本草物産の学に疎ければ、当否はしらず、しばらくしるして後の博識者おまつ、