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古事記伝
十三
湯津楓(ゆつかつら)、湯津は五百箇(いほつ)にて、〈其由は伝五七十一葉湯津石村の処に委く雲り、〉此は枝の繁きお雲、〈◯中略〉楓は下海神宮段には湯津香木と書て、訓香木雲加都良と見え、書紀には此お其雉飛降、止於天稚彦門前所植湯津杜木之抄、杜木此雲可豆羅とあり、〈又杜樹と作る処もあり〉万葉七〈三十五丁〉に向岡之(むかつおの)、若楓木(わかかつらき)、下枝取(しづえとり)、花待伊間爾(はなまついまに)、嘆鶴鴨(なげきつるかも)、字鏡に楿加豆良とあるは香木お一にしたる字なり、さて和名抄に楓和名乎加豆良(おかつら)、桂和名女加豆良(めかつら)、〈常には加都良には、桂字おのみ用ひて、楓字は後世に加閉手(かへで)に用ふ、されど楓は加閉手にはあらず、〉まづ楓は、爾雅郭璞註に、樹似白楊葉円岐、有脂而香、今之香楓是也と雲、又他の漢籍ともによく紅葉する物と雲り、さて貝原氏が雲、楓(おかつら)は其葉まことに白楊(はこやなぎ)に似て、両々相対ぶ、賀茂祭に用るかつら是なり、筑紫にてもかつらぎと雲、其葉かへでより大にて、花はさヽげの花の如くにて、三四月に開、形状はからの書に雲る楓に似たれども、紅葉せず、香も無しと雲り、〈今考るに、賀茂祭に葵と共に用ふる加都良は、信に香もなく紅せず、漢の楓には当らず、〉次に桂は今昔物語に、天暦御時もろこしより参来(まうでき)ける、長秀と雲僧ありけり、五条西の洞院なる処に桂宮と申すは、其門前に大なる桂木ありける故になむ名けヽる、彼長秀もと医師なりけるが、其木お見て、桂心は此国にも候ひけりとて、其枝お伐取せ、桂心お取て薬につかひけるに、漢のにはまさりけりとあり、此加都良今も有て、〈今も有とは桂宮なるお雲には非ず、此御国にあるおいふなり、〉全(もはら)漢籍に雲るに同じ、〈即肉桂と呼ぶなり〉然れば古より有りし物にて、源氏物語などに加都良と雲るも此属なり、但漢籍に雲桂は、御国には希らにこそあれ、古書に加都良お雲る趣に何処にも〳〵偏く有し物とぞ聞ゆる、故思ふに、今世に多夫(たぶ)と雲木あり、何処にも多き物にて、〈処によりて陀母とも陀麻とも薮肉桂とも雲、貝原氏雲、たぶの木桂の類にて二種あり、一種は白たぶと雲、葉は桂に似て香すくなし、冬赤実なる、一種はくすたぶと雲、葉白たぶの如くにて、殊によく桂に似たり、此葉も桂葉と同じく、本より分れたる縦理三条あり、実は冬熟して黒し、香も桂にやヽ似て味も辛し、右二種共に大木ありといへり、〉其状見分難きまで桂に似たり、かヽれば古に加都良と雲しは、なばて此多夫の木にて、其中にはたま〳〵彼桂宮は在しが如き、真の桂のまじりけるおも一に呼しなるべし、さて右の如くなれば楓(おかつら)と桂(めかつら)とは、近き類の木には非ず甚異なるお、和名抄に同類の如く、牝牡お分て出せるは、元より同類には非れども、名の同くて、混はしき故に、中昔にかりに牝牡と分ち雲しなるべし、されど其は殊に分て雲ときのことにてこそあれ、常にはたヾ二ながら加都良とのみぞ雲けむ、故和名抄の外には、牝牡の名見えたることなし、さて此記などにあるは、楓か桂かと雲に、此記に香とも書、字鏡にも楿と見え、又古事中昔の書までに人の門又庭などにも在しこと、又彼桂宮のなどお思ふに、桂(めかつら)の方なるべし、〈但し源氏物語花散里巻に、さヾやかなる家の、こだちなどよしばめるに雲々、大きなるかつらの木のおひ風に、祭のころおぼし出られて雲々、これは楓ときこえたるに、〉〈香もありげにきこゆ、処女巻に、まつりのころは雲々、前斎院はつれ〴〵とながめたまふ、おまへなるかつらの下風なづかしきにつけても、わかき人々は、思出ることどもあるお雲々、これも楓と聞えたり、〉然るに此記に乎加都良にあてたる楓字おも書たるは、たヾ加都良に用ひたる字お借れるのみなり、〈古は言だに同じければ、其文字には拘らぬは常なり、〉楓は香木と雲べき物に非ず、〈漢籍には香楓ともあれど、御国の乎加都良には、香なきこと、右に雲るが如し、又古書に楓字お書るは、楓香木とあるは桂(かつら)と二にも見るべけれど、楓字かける処も香木とある処も、事のさま全同物と聞えて、二には非ず、又書〓に杜木と書るは、古杜字おあてたる由は、心得がたけれど、字鏡に杜毛利又佐加木とあるお思ふに、かの今雲多夫の木は、殊にみづみづしく、いとよく栄ゆる木なれば、上代に是おも栄樹(さかき)と用ひ、又神社などにも殊に多くありけむ故に、やがて毛利にも此字お用ひしなるべし、万葉十巻に、志良加志にも、白杜樹とかける加志おも、古は栄樹と用ひたり、此彼お合せて思ふに、杜木と書るも女加都良の方なりけり、〉