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重修本草綱目啓蒙
二十五〓木
扶桑 仏桑花〈通名〉 琉球むくげ(○○○○○) 一名照殿紅〈閩書〉 福桑〈広東新語〉 那提槿〈草花譜〉 菩薩豁那〈中山伝信録〉 和産なし、琉球の産なり、中山伝信録に、五雅統注お引て、山丹扶桑同出日本、始入中国と雲は誤なり、唐山には八閩広州に多し、今は年々多く薩州より来る、甚寒お畏る、初冬より土窖中に入、初夏に至て出す、葉は桑葉に似て糙澀ならず、深緑色互生す、青帯紫帯の二種あり、六月葉間に花お開く、唐山にては自二月開、至中冬歇と雲、故に八閩通志には、四時常開と雲、伝信録には四時皆花と雲、単葉あり、千葉あり、単葉なる者は五弁にして木槿花の如し、大さ三寸許、其蒂長し、弁は深紅色にして光りあり、花中に一の長紅蘂ありて高く出づ、其端五つに分れて燭台の形の如し、故に伝信録に、中心蘂高出、花弁外一寸許、如燭承盤状故一名照殿紅と雲、其蘂に黄粉多く著て、蜀葵花及木槿(むくげ)の蘂の如し、故に集解に、上綴金屑と雲、朝に開き暮に落つ、後実お結ぶ、下種すべし生じ易し、又枝お〓挿すべし、大紅にして千葉なる者あり、八閩通志に鶴頂と雲、女南甫史に又小牡丹と雲、又黄色なる者あり、黄赤色なる者あり、福州府志に仏桑淡黄者俗名金木蘭と雲ふ、薩州山川の湊は極暖の地なり、土人扶桑お以て藩籬となすものあり、花時観るべしと雲ふ、 増、扶桑は、慶長十九年、始て琉球より来ること、忠家〈◯忠家恐家忠誤〉日記に見へたり、近年花戸に紅白相交る者あり、やぐらざきあり、又かずさきのものあり、花小なり、又一輪ざきと雲ものあり、花大にして二三輪許も開く、共挿して能く活す、