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秉燭譚

海石榴のこと 椿おつばきと訓ずるは、本よりあやまれり、荘子に大椿のことあれども、後世その花お称することおきかず、近年平井徳建氏など本草お撿して雲、山茶花と雲もの即ち日本のつばきなりと、その後物産の説詳にして、山茶花たること愈明なり、又日本にていふさヾん花は、唐にては茶梅と雲、海紅とも雲、唐の時分にはつばきお海石榴と雲皮日休など詩あり、天武帝の十三年に、吉野人宇閉直弓と雲人、白海石榴お貢すと雲こと、日本紀にあらはれり、しろつはきと点あり、又古海石榴市と雲所あり、つばき市と訓ず、しかれば日本にて古は唐の時の名おうけてつばきお海石榴といへるにや、宋以来の書、並に当代の人は曾てこの沙汰なし、