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古今要覧稿
草木
つばき 〈海石榴◯中略〉 寛永の頃に至りては、その花に重弁千弁赤白間雑の奇花八十種あまり百出するお以て、京師にては、こと好む人、その花おこと〴〵くあつめて百椿図おえがきたるに、烏丸光広卿は、それが序お作り給ひ、〈扶桑拾葉集〉江都にては松平伊賀守忠晴公務のひまに諸方にある所の品色及び名たヽるものおもとめて、同じく百椿図おえがきたるに、それが序つくりたるは林祭酒道春なり、〈羅山文集〉それよりまた九十年お経て、享保中には染井の種樹家伊兵衛といふ者の著せし地錦抄に載せしはその数すべて二百二十四種也、今に至りては猶また種類多くいできて、おほよそ四五百種にも及べるは、実に太平の勝事なり、かく本邦にはその種類おほきものなるに、西土にては其種わづかに廿種に過ざるお以て、朱俊水も此邦の花は唐土よりも種類多くして花もまされりと〈朱氏談綺、東雅、〉いへり、然りといへども近衛家熙公の仰に、種類多きものは一々漢名あるべからず、〈◯中略〉是によりておもふに、菊や椿などは、人の好みによりて数多になるものとみえたり、一々漢名あるべからずと、