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松屋叢考

三樹考 今三樹といふは、賢木(さかき)は桂(かつらのき)、楠(くすのき)、樒(しきみのき)、広心樹(おかだま)などの総名、加豆良乃木は櫺(おかだまのき)、木犀(おかづら)などの総名、櫺は、天竺桂(めかづら)の類の総名なれば、この三種おとり出て、説お立るがゆえなり、賢木は、香き常葉木のことにて、〈常葉木なるよしは、源氏榊に、かはらぬ色おしるべにてと有にても知べし、〉桂、楠、樒、広心樹などおいへど、ことさらに賢木とて神事に用るは櫺なり、〈櫺は天竺桂、大多比、白多夫の総名なり、〉そは真木(まき)はもと柀(まき)、檜(ひのき)、杉(すぎ)などの類お、美樹(うまき)とほめし名なれど、〈宇万の約真なり〉中に、一種柀(まき)としも称は、今の高野柀なるがごとし、〈高野柀、坂東には少なれど、北国中国西国には、いと多くて、檜杉などヽ共に山中に、しみさび立りといへり、〉古事記〈上巻〉に、天香山之五百津真賢木矣(いほつまさかきお)、根許士爾許士而、〈(中略)神代紀上巻、古語拾遺同説也、神代紀には、五百箇真坂樹と書き、拾遺には、五百箇真賢木と書り、五百津は枝の繁きおいふ、湯津楓の湯津も五百津の約なり、仲哀紀に、五百枝賢木とも見ゆ、百枝槻百枝杜樹の類也、〉また〈中巻神武の段〉神武天皇の御歌に伊知(いち)、佐加紀(さかき)、微能意富祁久袁(みのおほけくお)雲々、〈神武紀同、伊知は伊都の通音、厳橿といふにおなじ、その厳しく立栄えたる貌也、古事記伝十九の巻に、厳賢木といふは例なくてうけられぬよしいへるは、中々にうけがたし、〉神功紀に、撞賢木厳之御魂(つきさかきいつのみたま)雲々〈撞は斎にて、斎潔まはる榊なり、そお厳の枕詞とす、〉などみえ、この外古書に名の顕れたるは、挙に徨あらず、こお賢木、坂樹と書るは仮字なり、神樹〈万葉四〉と書るは、神字に用る木なればなり、榊〈日本後紀十六、新撰字鏡、〉は神木の合字にて、麻呂お麿、堅魚お鰹に作る類なり、〓〈字鏡〉は祀木の合字、神祀る木のよしなり、碇〈字鏡〉は未詳、杜〈字鏡〉は神の杜にある木の心也、竜眼木〈字鏡、和名抄、〉はその形容の似たれば、借用て書るなり、名義は旧説に栄樹(さかき)にて、なにヽもあれ常葉樹(とこばぎ)の栄立るにいひ、〈万葉仙覚抄五の巻、静山随筆、冠辞考九の巻、古事記伝八の巻、万葉槻の落葉別記、〉中にも橿木の事ならんと〈冠辞考九の巻〉いへるはうけがたし、今按に賢木は小香木(さかき)なり、まづ左(さ)といふ辞に五の差別あり、小言(さヽめごと)、小雨(さあめ)、小枝(さえだ)、小躍(さおどる)、小間無(さまなし)、小竹(さヽ)、小々形(さヽらがた)の錦、細石(さヾれいし)、小々浪(さヾらなる)などの左は小き心なり、狭筵(さむしろ)、狭畳(さだヽみ)、さおりの帯などは狭きなり、左根掘(さねこじ)、左根延小菅(さねはふこすげ)、五味子(さねかづら)、左百合(さゆり)、佐沼田(さぬた)などは、底(そこ)の曾にかよふ左にて深きにいへり、真男鹿(さおしか)、真寐(さね)、佐夜中(さよなか)、狭衣(さころも)、佐青(さお)、狭藍々々(さ〓さ〓)、狭丹頬(さにづらふ)、狭丹塗(さにぬり)、酒(さけ)などは真(ま)なり、真は宇万の約にて、物お美る詞、真木真賢木などの真これ也、早苗(さなへ)、早蕨(さわらび)などは和左の約にて早きなり、香木なりといふよしは、神楽歌に、佐加幾波乃加乎加久者之美とよみ、その外にもおほかればなり、〈清正集に、榊ばの香おとめくれば雲々、光経集に、榊葉のかおなつかしみ雲々、源氏榊に、さかきばのかおなつかしみ雲々、亜槐集一に、まさかきのかおかぐはしみ雲々など多く見ゆ、万葉槻の落葉に神楽歌お引て、榊樒のよしお雲たれど、未だつくさヾる説なり、〉小香木は桂櫺楠樒などの香木にはいへど、橿(かしのき)にいへる例はたえてなし、〈景行紀の志羅迦之餓延、雄略紀の伊都加斯賀母登などの歌お引ていふも、証とするに足らず、〉桂の加は香也、都良は円の略にて、香ありて円なる実結木(みなるき)なれば香円(かつらの)木といふなり、橡(つるばみ)も円真子(つらまみ)の通音なるべし、〈都夫良は丸きことにいふ古語にて、履中紀に円此雲豆夫羅とみゆ、都夫と訓も同義也、〉櫺の手加(おか)は小香なり、符蔰茵(おかとヽきおかつヽし)なども、香(くさ)きものなれば、然いふ也、多末は玉にて、実の円なるが玉に似たればいふ、桂の都良も、櫺の多万も、共に円実のよしなり、楠は臭(くさ)の木也樒のしも久之(くし)の約にて、酒お久之(くし)といふも久左(くさ)の通音、薬(くすり)も須利の切(つヾまり)しにて同義也、悪臭に久左之といひ、美香に加保利といふとのみ心得たるは頑なり、加も久左の切にて、古は別なかりしは、屎(くそ)は久左(くさ)、厠は薫屋(かほりや)なるお通はしいへるにても知べし、〈下学集に河屋の説お説たれどうけられず、兼輔家集、空穂国ゆづりの下巻、源氏須磨、枕草子春曙抄一、禁秘抄下、類従雑要三、侍中群要四などにみえたるみかはやうども、御熏屋人にて、御厠に奉仕する女官のことおいへるなり、〉かく、桂木犀楠樒広心樹の類お、なべて賢木といへる中にも、神事にはおほく櫺(おかだま)おや用たりけん、〈櫺は久須多夫、大多比、白多夫の総名、〉弓八幡謡詞に、うつすや神の跡すぐに、今も道あるまつりごと、あまねしや秀室(ひむろ)の木の、おか玉の木の枝に、こがねの鈴お結びつけて、ちはやぶる神あそび、七日七夜の御神拝雲々とあるは、太玉串のさまなり、