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古今要覧稿
草木
そめしば(○○○○) 〈山礬〉 とちしば、一名そめしば、一名おしこめしば、一名はいのき、一名やまき、一名しまくろき、一名くはい、一名あくしば、一名なもち、一名はなしきみ、〈已上十名本草綱目啓蒙所載〉漢名山礬は花信風大寒三候に配し、西土にては梅と共に称して、梅是兄山礬是弟といひて称すれども、皇国にてはいまだこの花お称せず、山礬の名は宋の黄庭堅が名づけし物なり、山谷詩集に、江湖南野中有一種小白花、木高数尺、春開極香、野人号為鄭花、王荊公嘗欲求此花栽、欲作詩而陋其名、予請名曰山礬、野人采鄭花葉以染黄、不備礬而成色、故名山礬といへども、山礬の名高くして、本草綱目にも山礬お先とす、佐藤成裕曰、肥後の人朝鮮の人に習ひて、この茎葉お焼灰汁となし、糯米お漬る事一宿にして飯となし乾し、飴にてかため、果子とす、其色鮮黄にして美なり、故にこの木お方言あくしばといふ、本草綱目啓蒙あくしばの名あれども、何国の方言ともなし、又栗本瑞仙院の説には、山礬しや〳〵きと雲、飯お染るは此葉なり、金黄色となる、是筑前の果子屋のなす所なりといへば、筑前にても製すると見へたり、本草綱目啓蒙には、山礬にて物お染る事は載せず、又松問栗答雲、〈この書は黒田侯より草木鳥獣等の事お問答せし書にて、八九巻もあり、〉蒙贈示大歓不過之、山礬始てこれお視る、貴邦の土名とちしば、又そめしばなる由は兼て聞けり、貴邦に多くありと雲によりて、一樹一本お乞奉るに、相州小磯駅小山、及武州神奈川駅の小山にて、先年御覧ありたる由、其地にて探索せば得易かるべし、其木お聢と見おぼへざればなり、今般其枝葉お親く見たるによりて、予は其樹お一覧せばそれと識ん、他人お以捜索せば、其方言も知らるべし、又冬春は形も異なるべし、捜索し難かるべし、唐山にては梅花水仙と并に賞すと聞けり、花五弁聚り開、香気馥郁遠く人お襲ふ、故に七里香の名あり、今聞に本邦に此樹花さけるお近く嗅に香気なしと、然れば別物乎、国異なるによるにや、貴邦のもの野梅と同時に花ありて、香気の賞すべきもの有や、花状の図并に其説おきかまほし、礬お不用して染ものの用に入る、因て此名あり、いかやうの色に染まるにや聞ん事お翼ふ、如此問ありて答なければ、本邦の山礬の香の有無は詳ならざれども、上にいふ肥後の人朝鮮人の此方のそしめばお見て、これにて染ぬれば、鮮黄なりとて、その教によりて、今に果子お製して、名産となりぬれば、花の香の有無は、春蘭も西土にては、香の馥郁たるものなれども、本邦の産は香のおとれるがごとくなるべし、山礬は的当の物なるべし、岩崎常正が所写の山礬お見るに、其葉巵子葉に似て鋸歯あり、時珍の説に、其葉似巵子葉生不対節、光沢堅強略有歯といふに附合せり、その花は二寸許の穂、葉頂に五六条出て、五弁の小白花お開く、形梅花のごとくにて三分許、一条十五六輪あり、然れども集解に穂おなすとは見へざれども、繁白如雪といひ、又花鏡にも著白花細小繁といへば、数条おなさねば繁とはいはれまじ、又花お開くお本草綱目秘伝花鏡ともに三月開花といへり、花信風には、大寒三候に配せり、また群芳譜の花月令、十二月梅蕊吐山茶麗、水仙凌波茗有花、瑞香郁烈山礬鬯発といへるは、小寒一候梅花、二候山茶、三候水仙、大寒一候瑞香、二候蘭花、三候山礬といふにはかなへり、